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2010年SOHO知識労働者の歴史的現在

 今年、小社のテーマは、ドラッカー先生の著書『イノベーターの条件』(2000年12月14日ダイヤモンド社刊)、先生に導かれているという実感が込み上がる。本年の指針としていきたい。昨年12月も終わりに近くなって佐藤はドラッカー先生の『テクノロジストの条件』の最終章 第14章 知識の意味を問う237頁の両開き236頁の末に「デカルトを超えて」を再読し、その中で先生は「300年前、デカルトは「我思う。ゆえに我あり」といった。今やわれわれは、これと同時に「我見る。ゆえに我あり」といわねばならない。デカルト以来、重点は分析的論理におかれてきた。これからは、分析的論理と知覚的認識の双方が不可欠となる。」と言った。
 1960年は佐藤の学生時代でもあった。1950年代のわが国における教養主義にも関心があった。
 佐藤は「我思う。考えることを考える」としてそれ以来分析を停止していた。先生は「我思う。我見て、気づきや意思をもつ」といってもいいと理解した。
 そしてこの頁の最終行で、先生は「しかし、今日の哲学者は、もはやカントの問題意識を重視はしない。彼らは形態を扱う。すなわち、記号、象徴、様式、通念、言語を扱う。知覚的な認識を扱う。こうして今日、機械的世界観から生物的世界観への移行が新たな総合科学の登場を求めている。カントならば、これを「純粋知覚批判」と名付けるにちがいない」と言っている。


■佐藤は、『イノベーターの条件』を後半から再読した。先生の付章「もう一人のキルケゴール――人間の実存はいかにして可能か」で同意し、かつて若き佐藤は学ぶこととその理論は人格形成を学ぶことに関心があり、そしてその知識や思想は創造するものであると確信していた。思想をつくることに反発していた。そして佐藤は今、この項で、こうした知識の性格変化――目的から手段への自己なりの思想的変容を追認した。それは佐藤の執筆した弁証法や談話筆記法など論理表現形式なども含まれるが、それは「知識そのものの目的、方向づけ、さらにはその意味について問題を提起する。その知識は必要か望ましいか、それとも他の知識のほうが必要か望ましいかの問いかけは、そもそも知識そのものが必要か望ましいかの疑問につながる。」
 知識は社会貢献される価値があって、自らの社会的存在を認識する。先生は人間の実存について人間の実存は個として生まれた人間としての精神と肉体の、個体としての実存の先祖から与えられた自然存在といってもいい。佐藤にとって知識の起源とその体系は西欧哲学の形成の中で、自己の思想を創造してきた。「自然存在」から自然権が生まれる思想はドラッカー先生の考えと同じだ。それは禅の立場からで、洗礼と自然存在の相違をもつ。
 先生は進歩についても言及している。この自然権は人間にとって西暦(人類から人間社会史へのリセット)が始まった意味でもあった。永遠と時間の、絶対と有限の神学の中で、永遠の希望と有限の、それはキリスト教において絶対たる信仰の永遠と、死を「覚悟」して明日を生きる生き様の生き方にある(求める)。ドラッカー先生は「キルケゴールの信仰もまた、人に死ぬ覚悟を与える。それは同時に、生きる覚悟を与える」といっている。先生との違いはこの一文の言い回しにすぎない。旧日本軍は特攻隊に死の覚悟を与えたのではなく、明日(時間としての未来)を生きる生き様を教えた。佐藤にとって日本精神なのである。
 キリスト教と禅に橋をかける。
 オバマ大統領のノーベル平和賞の受賞演説は、60年安保闘争を思い出した。それは平和とは闘いとるものだ、という思想であった。
「キルケゴールの信仰もまた、人に死ぬ覚悟を与える。それは同時に、生きる覚悟を与える」という。佐藤は40歳を過ぎた頃、鎌倉の禅寺で坐禅会に参加した。そこで「ここは観光寺でないんだ」と強い警策を受けた。自己精神の喜びでもあった。
 思考は二段階ではない。ここには日本人性がある。観光寺の「現実を見て」自己精神のあり方に目を覚ました。
 ヨーロッパ大陸においても圧政に立ち上がった国や人々を知って、人民は立ち上がった。
 キリスト教は信仰が人に覚悟を与える。禅の精神は強い警策を受けて自己精神は目覚める。自己精神という人間の実存は人間の社会的存在と同時に目覚める。
 ふたたび言うが、ここには欧米と日本の生き方というあり方がある。
 佐藤はキリスト教と禅に橋をかける。
 最近の総合誌においても、新聞報道での防衛大学校出身の発言者に深い平和への危惧を感じる。そこには「いかに生きるか」の精神が見えない。自己精神が見えない。自分の社会的存在の哲学が見えない。イスラムの戦士とキリスト教の兵士たちの覚悟はわかるが、日本人としての生き様である苦悩が見えない。
 明治維新、第二次世界大戦の敗戦、そしてわが国における直近の政権交代、そこに日本人の生き様を見る。明治維新も直近の政権交代も平和裏に行われた。
 第二次世界大戦の新生日本のあり方にも輸出産業への支援がわが国経済の成長戦略かといえば、それは常に国債の増発の経過でしかなかった。官僚内閣制が原因である。
 日本人の生き方を問う生き方が見えない。国民の借金をつくることが政治であった。
 
 歴史のうねりは日本人が欧米人との間に「生き様」を見せて国際社会でどう生きていくか、現実追認を無批判的ではなく、責任あるわが国の現実的苦悩の問題提起があったかというと、「うさぎのウンコ」みたいだ。
 アフガニスタン、パキスタン問題にも日本人の叡知の「生き様」があっていい。
 そこにキリスト教の「覚悟」と日本人の「生き様」の苦悩を国際社会の信頼の中でここに哲学的苦悩があっていい。佐藤には防衛大学校出身者に人間として哲学的苦悩が見えない。キリスト教やイスラム教の「覚悟」に平和の中で千年平和を求めてアジアの人々を「刺激」することなく、「当たり前で相変わらず」の生き様を表現するにはどうしたらよいか?
 明日の世界はG20の多元社会となるだろう。安全保障政策で近視眼的な戦術的な論理に関心を持たない。国際社会における「信頼の構築」が必要だ。
 
 ドラッカー先生の人間の実存と人間の社会的存在は時間の概念とともに理解できる。この宇宙の時間は無限である。無限の中に有限である人間の、自己精神の実存を認識する自己にとって時間は延長(西暦)でもある。いのちをつないで延長していく――それは永遠の希望で、延長の無限と、それゆえに絶対の中に吸収される。そこに人間の実存の希求がある。と同時に、延長の中に「人間社会」の延長という歴史の希望を持つ。それは明日の希望でもあり、明日への進歩ともいえる。明日を支度していく日常である。
 もし「人間社会」の永遠が希望であるなら、人間社会史における人間の社会的存在の意識は人間の社会的存在における自然権や自由、平等、権利の認識の歴史として把える。
 人間社会史とは何か? それは人文・社会科学観であった。
 イスラムの戦士たち、アメリカの兵士たち、そして、日本の若者もドラッカー先生のいうマネジメントの本質――務め(課題)、責任、実践の日常というか、明日を支度していく日々の繰り返しと佐藤は理解しているが、天皇陛下は12月23日の誕生日に、「日々の務め 幸せ」と綴られた。この平凡な日常は非凡にかわる。佐藤にも今の人生に退職はない。平和な日常の務めなのである。生きている喜びは自己精神のいのちと務め、責任、実践が支えている、と言ってもいいだろう。ホームページの「ごあいさつ」で、Peaceful dayといった。平和が与えてくれる日々の生活の静かな、それは平和が与えてくれるが、そうした暮らしの中での務め(課題)、責任、実践が平常心として自然であることだ。
 企業規模(市場規模)の適切さについても身の丈大分相応でありたい。一歩、一歩、前進の生き様でありたい。
 禅においては生き様だ。佐藤にとってこの生き様は当たり前で相変わらずでありたい。しかし、これは何人にとっても明日を支度していく生き様でもある。自己精神にとって延長という有限な時間の生き様でもある。
 先生はキルケゴールの実存について語っているが、社会的存在については明確でない。
 時間の概念の中で何人も生きている。
 
 人間の実存と人間の社会的存在にアイデンティティ(自己同等性、自己同一性)を求めた。
 人間の実存と人間の社会的存在には、社会的存在の現実的・歴史的本質がある。人間の実存についてはキリスト教神学の神学理論としての永遠という未来があり、そこで生きてゆく現実の社会的存在の苦(現実的・歴史的本質=正)とは、理論的本質(反)としての佐藤は「あるべき姿」としている。それは時間と空間と自己精神の場における知恵による当たり前で相変わらずな生き様といっていい。自己精神は静かな時間の経過に平和を求める、きわめて保守的な側面の特徴をもつ。学ぶということ、一般的に教育・知識の意味(反)は明日への希望を学ぶ。明日への時間における延長への希望である。
 この正と反は実践的本質として止揚(アウフヘーベン)されねばならない。佐藤の弁証法にはアイデンティティ(自己同等性、自己同一性)を求めている。半歩の前進から一歩の前進もあるだろう。ドラッカー先生のマネジメントの本質とは日々の務め(課題)、責任、実践の中で、この「前進」を目指していかねばならないだろう。ダラダラ生活するのではなく明日を支度していく、知恵や工夫、改善、明日への希望を持ちたい。いろいろな意見があると思うが、二元論は止揚しなければならない。別なことばでいえば、西田哲学における「一致」の論理的な解決でもある。論理と感傷の間に橋をかける。
 
 この『イノベーターの条件』の書籍の帯は、「まともな社会なくして まともな人間はありえない!」とキャッチアイされている。
 務めとは課題でもある。佐藤と山形の共通の課題が二人の務めだ。SOHOが続く(延長)。

第14章 知識の意味を問う 237頁
 
 知識が社会の中心に座り、社会の基盤になったことが、知識の性格、意味、構造を変えた。今日のさまざまな断絶のなかでも、この断絶こそ最も急激であって、最も重要である。
 
 知識の世界は流動してやまない。今日の学部、学科、科目はまもなく意味を失う。もともと、それらのうち長い歴史をもつものはほとんどいない。100年前には、生化学も遺伝子学もなく、生物学さえなかった。動物学と植物学があるだけだった。今日、有機化学と無機化学の区別がなくなりつつあることに驚いてはならない。有機化学の知識をシリコンなど無機物質に適用する研究が進んでいる。逆に無機化学の知識を有機化学に適用する研究が進んでいる。そもそも化学を有機と無機に分けることが、知識とその応用の両面において急速に障害となりつつある。
 
 脱デカルト
 生理学と心理学、経済学と行政学、社会学と行動科学、論理学と数学、統計学と言語学の境界が意味を失いつつある。これからは学部、学科、科目のいずれもが陳腐化し、理解と学習の障害になると考えるべきである。部分と要素を重視するデカルト的世界観から、全体と形態を重視する形態的世界観への急激な移行が、あらゆる種類の境界に疑問を投げかけている。
 あらゆる組織が昨日をそぎ落とさなければならない。大学も例外ではない。少なくとも大学は新しい専門分野を導入し、これまでの専門分野を統合しなおさなければならない。アメリカ、イギリス、日本の大学は、まだ柔軟なほうである。ヨーロッパ大陸の大学は講座や教授職に縛られたままである。教育省の規制がひどい。あらゆる実験的な試みを禁じている。特にフランスとイタリアでは、全大学同時でなければいかなる科目の新設も認めない。官僚的な秩序は守られるが、そもそもそのような秩序が大学にとって不要である。
 
 手段となった知識
 ところが今日では、知識とその探求は、専門分野別ではなく応用分野別に組織されるようになった。学際研究が急速に進展している。研究組織もアフリカ問題、ソ連問題、都市問題など応用分野別になっている。それらの組織には経済学、精神病理学、農学、美術史など多様な専門分野から人が集められる。今日では学際研究が大学に活力を与え、その方向性を決めている。
 これは、知識がみずからを最終目的とするものから、何らかの成果をもたらすための手段に移行したことの結果である。こうしてこれまで知識とされていたものが単なる情報になりつつある。今や、かつての技術とされていたものが知識である。現代社会の動因としての知識は、応用され、仕事に使われはじめて意味をもつ。仕事は専門分野によって定義することはできない。目的は、常に学際たらざるをえない。
 知識が現代社会の中心的な資源となったために、大学に第三の機能が加わった。教育と研究に加え、社会への貢献すなわち知識を行動に移し、社会に成果をもたらす機能が加わった。今日、大学は研究に力を入れるべきであるとの議論がある。しかも研究は教育と学生のニーズとは両立しないとする。これは誤解である。問題は、社会への貢献が必須になったことから生じている。優秀な教師ほど学際研究に引っぱりだされる。政府、学校、企業、病院、軍からコンサルティングを頼まれる。大学の他の学部や学科からも声がかかる。もちろん彼らはみずからの専門分野によって貢献する。だがその最大の関心事とすべきものは、依頼主にとっての成果である。コンサルティングを引き受けるということは、専門分野の論理ではなくチームの一員としての成果に関心をもつということである。
 20年前は、コンサルティングの仕事を依頼されるのは、工学部、経済学部、法学部、化学部など限られた学科の教員だった。ところが今日では、ほとんどあらゆる学部、学科の学者が引っぱりだこになっている。しかも大学が知識の応用に力を入れ、社会に成果をもたらすことが期待されるにつれ、これまでのような専門分野の論理ではなく、応用分野を中心に学部の再編成を行なうことが必要になっていく。

■ぼくたちの仕事は、知識としての業際を理解できる力が必要である。「テープ起こし」ってこんなことをする仕事なんでしょ。と、分かったようなことをいう。今日の大卒者に共通していえることは、「分かっている」と思い込んでいることだ。大学院は機能していない。「分かっている」と思い込んでいる者を生産している。
 大学はこの程度の知識を与えるところとなっている。真面目に働けば中間管理職になることもできるだろう。専門として究めることができない障害をもつ。反対に「生み出す」力がない。工夫や改善を「気づき」でもって仕事ができる能力はある。これからの時代は文系であっても、論理的な思考による理論を構築して新規事業を生み出す力が求められる。
 大学や大学院で専門知識を詰め込む。しかし、人格形成の土台というべき文系であれば精神の構成物質について、苦悩した経験がないということが障害となっている。
 1960年の安保闘争は当時の「既成概念」を、テーブルをひっくり返すように全面否定した。60年安保闘争の挫折であった。こころの中にこの挫折感がリズム、メロディーとして残り、流れていた。モータン音楽のリズム、メロディーだった。
 1966年、友人の芥川賞作家と横浜から日本を脱出、ナホトカ経由でヨーロッパへ向かった。北欧の若者と時代の共通のリズムを共有した。それは新しい空間と場における喜びでもあった。いま北欧の高齢者と若き日のリズム、メロディーを共有し、日本の若者の音楽の力、静かな叫びに共感する。時々、インターネットで大画面のテレビで若き日の音楽を楽しみ、世界の人々と共通のリズムを共感している。わが政治への希望がリズム、メロディーとして静かな叫びをもって世界と連帯する。ぼくたちの知はここから発している。
 
 ここから「生み出す」ことが生きていくすべてだった。青春の悩みでもあった。
 当時はテレビゲームのクイズ番組に必要な「もの知り」のような知識の断片が残滓として残った。記憶しているだけである。そうした意味の大学教育が今日まで続いたというような気がする。こんな知識は「思い込み」を助長させるだけで障害になることが多い。
 しかし、大学の学部、学科の教育はいまや情報一般になった。哲学や思想構築の土台を形成していく大学生活があって、自己の知識を含め、「再構築」していく姿勢と自己の知識と思想の連関をもって豊かな知識の「自己体系」を目指して構築していく力がない。
 これがあるかないかで、社会へ出て同級生にも差異をもつ自己成長となっていく原因がある。
 大学院で専門知識を学び、しかし仕事の多くは大学教育一般の、学部や学科を超えて対処できる力もあれば、力のない大卒者もいる。大学生活での関心事がこうした現実をつくるが、どんな大学生活を送ったか、どんなサークルに所属したか、最近の応募者に聞いてみると体育会系が多い。佐藤の時代と違って文化サークルには関心がないようだ。当時、文化サークルには悩み多き学生が集まった。生きる共通のことばを探して、話し合った。生きる突破口を探して激論した。高度経済成長時代に突入していた。
 工学と理系は知識の適用と応用に関心をもった。文系はビジネス産業の兵士として生産されたが、文系学生は「どう、いかに、生きるか」について自問しただろうか? 
 モーゼス・ヘスから学んだ「行為の哲学」はこの現実社会に役立つことによって自己の社会的存在が、「生かされて生きていく」ことを佐藤は自覚した。そして佐藤にとって、「行為の哲学」はひとりの社会における市民として自覚でもあった。1988年は起業への道であった。同時に現実社会における自己精神の構築でもあり、モーゼス・へスから学んだそこにあるものは、「革命的」に行為することであった。自己の革命的創造への確信が事業の革命的構築への道でもあった。
 
 わが国産業界ではアメリカから「ものづくり」の知識や技術の書籍を購入して翻訳が仕事だった者もいる。わが国の産業を学べ、というのはこうした初期高度経済成長期の学ぶ力と新規産業の起業の力も、こうした宝の山を探して自己構築する力が必要だ。アジアの新興国を指導できる力があるにも関わらず、技能の秘伝を教える力はあってもことばにできないのは欧米人と日本人の相違である。佐藤のテーマのひとつだが、もう10数年も前、年頭所感で「日本語で考えるな、英語で考えろ」といった。新規起業の風は西から吹いてくる。先進国であるわが国の未来は日米同盟の良好な関係の中で対話していかねばならないだろう。と同時に、このパートナーシップは夫婦として「なんでも語れる関係」で夫婦のあり方が対等な関係であることだ。夫に従属する妻であってはならない。信頼の関係がなければならない。
 それは元旦祈祷のため参道を通るが、「ワシントン参り」の夫婦の関係は、根源性論者とかつてある日、顧客を二人で訪問したことがあった。商談のためである。相手の営業マンは商談の話し方からことばの注文を佐藤に言って、怯えているのか、商談ストーリーを話す人格の下劣さに、佐藤は嫌悪したことがある。陰謀を画策しているようだ。顧客に「福の神」がやってきたぞ、とともに喜びを分かち合うこころがない。本局に時たま来る営業マンのこのこころを見つめる。アジアの後進国の工場労働者にことばにもならない秘伝を、「こうして、こうやって、こうするの」というものづくりの時代は終わった。
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/はアメリカにおけるNPOの堂々たる社会貢献のあり方も学びたい。わが国NPOの6割が年間500万円程度の所得であるらしい。どこに原因があるのか?  

 規模の適切さが問われる(241頁)
 これからはあらゆる組織にとって、いかなる規模が適切かが問題となる。物理的なプロセスでは、大規模化によってより大きな成果をあげられた。より大きな力は、より大きな産出を意味した。より大きなことが、よりよいことを意味した。そのようなことは、これからの生物的なプロセスには適用しない。生物的なプロセスでは規模は機能によって決まる。
 
 ゴキブリにとって、大きいことは反生産的である。ゾウにとって、小さいことは反生産的である。生物学者は「ネズミは、ネズミとして成功するために必要なことをすべて知っている」という。ネズミが人間よりも頭がよいかどうかは愚問である。ネズミは、ネズミとして成功するために必要なことについて、他のいかなる動物よりも先をいっている。
 
 情報化社会では、組織の大きさは、独立変数ではなく従属変数である。情報の本質からして、組織として機能しうる範囲内の最小限の規模が最適である。大きいことがよいのは、規模が大きくなければ仕事ができない場合にかぎられる。
 コミュニケーションが行われるには、情報と意味の二つが必要である。意味が存在するためには、通じ合いがなければならない。知らない言葉で電話をかけられては、いかに通話状態がよくとも理解できない。理解できなければ、意味は存在しない。気象学者ならば完全に理解できるメッセージも、化学者には理解できない。人の数が多すぎても、通じ合いは不可能になる。通じあいには確認の作業が必要である。解釈の能力が必要である。情報の共有が必要である。「東京の連中の考え方を知っているから意味がわかる」、あるいは「ロンドンの連中の」「北京の連中の」と言えなければならない。「考え方を知っている」ことが、情報のコミュニケーションに転換する触媒となる。
 あの大恐慌から1970年代に至る50年間、世の風潮は集中化と巨大化を志向してきた。1929年以前には、医者は手術でもなければ、患者を病院に送り込まなかった。病院で生まれる子供はほとんどいなかった。大部分が家で生まれていた。アメリカでは30年代に至るまで、もつとも活状を呈していた高等教育は教養課程の中小の大学だった。ところが第二次世界大戦後、高等教育の中心は、総合大学、さらには研究機能をもつマンモス大学に移った。政府機関でも同じことが起こった。企業の世界でも、大きくなることが脅迫観念となった。あらゆる企業が10億ドル企業にならなければならないかのようだった。
 しかし、70年代、流れが変わった。政府機関にとって、もはや大きくなることはよいことを意味しなくなった。病気の治療についても、やむをえない場合を除き、病院でないほうがよいとされるようになった。70年代に入るまでは、たとえ軽度であっても精神障害は病院で治療した。70年代以降は、危険のないかぎり退院させるようになった。われわれは、20世紀の最初の四分の三特に第二次世界大戦の時代を特徴づけた規模に対する信仰を捨てるに至った。今日、大企業の分割が急速に進行している。
 特にアメリカでは、政府の機能が中央から地方へと移譲されている。地方では、自治体の機能が民営化されあるいは民間に委託されている。
 今後、機能に適した規模が問題になる。仕事をもっともよく行えるのは、ミツバチか、ハチドリか、ネズミか、シカか、ゾウか。ミツバチからゾウまで、あらゆる大きさが必要である。それぞれが、それぞれの仕事、それぞれの生態系のもとにおいて必要である。組織にとって最適の規模とは、機能や仕事に必要な情報をもっとも有効に扱うことができる規模である。
 
 全体が部分で和ではない世界(243頁)
 技術とは自然のものではない。人のものである。道具についてのものでもない。人がいかに働くかについてのものである。技術とは、人がいかに生き、いかに考えるかに関わることである。チャールズ・ダーウィンとともに進化論を唱えたアルフレッド・ラッセル・ウォレス(1823〜1913.イギリスの博物学者)は、「人間は、自ら道具をつくることができるゆえに、方向づけと目的意識を伴った進化をなしうる唯一の動物である」と言った。まさに技術は人間の延長であるがゆえに、その基本的な変化は常に世界観の変化をもたらす。技術の変化は価値観を変える。
 コンピュータは、17世紀末のドゥニ・パパンの時代に始まった物理的な世界という、分析的かつ概念的なプロセスの究極の表現だった。
 
 コンピュータは、パパンの同時代人で友人だった数学者、ゴットフリート・ライブニッツ(1646〜1718。ドイツの数学者、哲学者)の発見に端を発した。彼は、あらゆる数字がデジタルに、つまり1と0によって表現できることを発見した。バートランド・ラッセル(1872〜1970.イギリスの数学者、著述家)とアルフレッド・ホワイトヘッド(1861〜1947.イギリスの数学者。アメリカに移住)の『数学理論』(1910〜13年)は、ライブニッツの発見を数学という限定された範囲を超える論理に発展させた。その結果、データとして明確に示されるならば、あらゆる観念が1と0によって表現できることになった。
 
 コンピュータは、パパンの師ルネ・デカルト(1596〜1650.フランスの数学者、物理学者、哲学者)の分析的、概念的なモデルの勝利だった。しかし、そのコンピュータが分析的なモデルを超越させることになった。情報それ自体は、分析的、概念的である。しかし、情報はあらゆる生物的プロセスにとってのみ動因である。
 近代生物学によれば、生命は遺伝コードすなわちプログラム化された情報として記録される。あの不可思議な実体としての生命も、超自然的な説明に頼らないとするならば、情報によって組織された何ものかであるとか説明できない。
 生物的なプロセスは分析的ではない。物理的なプロセスでは、全体は部分から成り、かつ部分の合計に等しい。したがって、分析によって理解することが可能である。これに対し生物的なプロセスには、部分はなく全体が全体である。部分を合計しても全体にはならない。情報そのものは、分析的、概念的である。しかし、意味は分析的、概念的ではない。知覚的である。
 パパンと彼の同時代人が定式化した世界観では、知覚的な認識は感覚にすぎず、疑わしいもの、神秘的なもの、捉えがたいもの、不可思議なものにすぎなかたった。科学は知覚的なものの存在をしなかった。だが、その有効性は否定した。分析家たちは、知覚は教えることも訓練することもできないと断じた。知覚そのものの存在さえ否定する科学者が多かった。こうした物理的な世界観は、知覚的な認識は理性的でなく、したがって教養の世界に追放すべきものと位置づけた。つまり、それ抜きでもすむということだった。事実、学校では芸術を楽しみのための鑑賞としてのみ教えた。
 学校では、自らがつくりあげるべき厳格な体系としては芸術を教えない。そのようなものとして教えるのは、芸術家の卵たちに対してだけである。しかし、今日の生物的な世界では、中心にあるのは知覚的な認識である。しかも、知覚的な認識は、訓練し発達させることが可能である。事実、訓練し発達させることが必要である。
 
 われわれが理解するのは、「CAT」というまとまりの言葉であって、「C」「A」「T」なる三つの文字ではない。「C」「A」「T」は、最近の用語でいうところのビットであって、分析の最小単位にすぎない。コンピュータも、ビットを超えなければ意味を伴う何ものをも処理できない。これがいわゆるエキスパートシステムの目的である。それは、全体の理解すなわち経験による知覚的な認識を、コンピュータの論理すなわち分析的なプロセスに組み立てることである。

■「情報そのものは、分析的、概念的である。しかし、意味は分析的、概念的ではない。知覚的である」と、言っている。
 ぼくたちの仕事は情報そのもの「トランスクリプション」の制作である。分析的で概念的なことばがある。意味についてはプログラムされていない。仕事は知覚的である。
 ソリューションとはプログラムされる方法論である。理論である。社会に役に立って、はじめて知識は貢献できる。価値はここに生まれる。小社の経営は知識という一般情報を扱っている。そういう意味で出版業界と知識経営が融合している。小魚という小さな生き物である。だが産出されるものは一級品だ。
 SOHOの歩み方には小動物として自らの生き方がある。動物は本能と結びついた活動をするが、ぼくたちは知恵をもたねばならない。動物の本能とは人間にとって知恵である。
 動物は群れをなして自らの種を守る。ぼくたちもそういう生き方に学んだ。しかし、社会環境を見ると、スタートの起業の意味が転倒している。会社の生き方とは企業の永続性(ゴーイングコンサーン)にある。大切なのは背中に荷物を持たないことだ。所有から利用を活用する。小社は起業から最初の10年間は毎年年頭所感で会社理念をスタッフに訴えてきた。そこにはこんな例を出した。
 相場の能力で、相場の料金であれば、仕事が入ったり入らなかったりする。
 相場の能力で、相場より少し安い料金であれば、仕事は入ってくる確率が高まる。
 相場以上の能力で、相場よりも安ければ、仕事はどんどん入ってくる。
 
 初期10年間の戦略であった。本局は優秀な人材を求めた。そうするためには相場よりも高い報酬料を設定した。相場の能力でただ安ければ倒産してしまう。
 起業した人は顧客からの入金で、自分の必要最小限の「利益」を確保し、残ったカネを支払いにあてる。佐藤はまず下請支払法が適用されていない時代であったが、スタート直後、4カ月から6カ月の支払猶予をスタッフにお願いした。スタッフに対する支払いを最優先しなければならなかった。当時はスタッフに請求料金の80%近くを支払い、残りを本局の稼動費とした。本局の経営が成り立つのはそれなりの現金が必要である。その資金の確保である売上げの目標を定めた。そこまでガムシャラに新規顧客を開拓した。
 借金は雪だるま式に増えた。ここからのスタートだった。
 多くの想像するSOHOはまず自分の活動費をはじめにピンハネする。小社は出来高制が基本なので利益幅は計算できる。これではSOHOは自分が病気したときは仕事ができない。本局はすべての仕事をスタッフにお願いした。80%をスタッフに支払い、20%を本局の活動費とした。対等のパートナーシップはこうして生まれた。ここのスタートが企業の存続と発展の分かれ道になる。
 自分で自分の能力の範囲内で仕事を受託する。だから自分の取り分をピンハネする。
 これではこの繰り返しの労働システムなのである。企業の発展とともにスタッフを増強し、組織として拡大していく戦略が見えない。ここがボタンの掛け違いなのである。
 SOHOが一人親方としてのみでなければ継続できない理由がここにある。
 本局は働く者に生かされて生きてきた。ここには深い感謝があった。だが、一人親方にこのような感謝があるだろうか? かつてSOHOの福利厚生とはこうした一人親方の所得のリスクを保険で賄う(代位)ことでもあった。転倒の構図である。
 小動物は群れで生きる。しかし、一人で生きたいと考えるのかどうか、ここには会社設立と同時にスタッフの教育訓練が死活問題(会社理念)となる。人間社会の掟なのである。
 個人の論理と会社の論理を一致させる。企業は企業の永続性の契機がここから生まれる。
 賃金労働者ではなく、会社と利害が一致することである。働く者の喜びは企業の喜びとなる。ここには出来高制であることも理由である。月末でお客様へのご請求書発行を締切るがスタッフは頑張って納品する。それはご請求に加算できる。
 一人親方制は自分のいのちの終焉とともに事業は消滅する。ここには企業の永続性はない。わが国のSOHOが陥るボタンの掛け違いがここにある。
 また、一面でSOHOのホームオフィスは牢獄でもある。山形の一切の外出はウィークディにはできない。しかも本局は1日24時間年中無休で創立から21年間続けてきた。起業する決意のこんなことは起業の第一条である。自宅をオフィスとして起業することだ。いまは一般的になったが、20年前は一般的ではなかった。
 しかし、会社法には利点もある。賃金労働者が陥る領収書の類、仕事である会社の領収書の類、この区別ができるようになるまで17、8年かかった。賃金労働者の習性からはむずかしいことだ。給料は少なくても、会社経費は何百万とある。しかも、SOHO
であるので、夫婦二人でしか主に会社経費のお金は使えない。
 外へ出ても一切会社経費だ。飲むことも食べることも会社の細かな情報の交換と指針の大切な会議でもある。夫婦であるかもしれないが、電話に出る山形は、宝の山を飲み込む。毎日、時間をかけて聞き出すのも佐藤の重要な仕事だ。この本局のSOHOという経済システムはこうして成り立っている。SOHOには原則夫婦しかいない。しかし、こうして胸をはれるのは17、8年かかった。なかなかむずかしく簡単にはできない。
 厳しい言い方だが、「女房はタダでこき使え」。スタッフは専門職なので直接専門外の雑用はさせないことだ。生産性も低下する。書類も工夫して一枚の紙っぺらにする。通常の仕事以外の本局から仕事をお願いする時にはすべて作業時間を想定しスタッフが申告し時給換算で即支払う。
 まだ細かいことはたくさんあるが、「小さく産んで、大きく育てる」そうした事業発展の戦略をもつことと、SOHOであることだ。出版業界なので、かつては毎日がスタッフへの支払日であったが、今は五当日が支払日として多くなった。サラリーマンのご主人が多い。特に支払日は五当日に集中しているが月末もある。おおむね支払日は毎日と心得ている。特に20日から24日は毎月注意している。ご主人の給料日の前にお振込みしたい。ビール1本が食卓にあがることだ。理解を得ることである。家族全員の協力があって仕事は成り立つ。納期を抱える独立自営業者(在宅ワーカー)にとって家族はお客様でもある。
 毎年3月の決算には家族に対し働くお母さんの背中を子どもに見せているが、家族に感謝する日として家族全員と外出して食事するのもいいだろう。一般のサラリーマン家族のあり方と相違ある点である。税務署に認めさせるべきだ。家族の理解を得るためには1カ月に一度ぐらいはあっていい。子どもたちにもよく分かってもらうことだ。
 賃金労働者にとっては職場の働く環境といえるし、ぼくたち固有な働き方の課題でもある。


 出版社からのお振込みはかつては毎日だった。五当日になり、翌月にずれていく出版社もある。お支払い日は決めていない。入金されたお金はその日のうちにスタッフへ支払う。五当日が入金日なのでフローは4日間ということになる。あご足は一切負担している。貧乏人であることを誇りに思う。スタッフには毎月給料のようにお振込みする。入金のリズムが崩れないように緊張した生活を送る。スタッフへの感謝の気持ちとスタッフへの家族への感謝があってはじめて成り立つ。感謝は、お金でしか現さない。お金で感謝を現すことだ。即現す。仕事はきょうもあり、明日も続くように、ここには務め、責任、実践のマネジメントに努める。
 好循環を生み出すことに努める。まずお支払いを先に済ませる。残ったお金で本局を維持しなければならない。ここにあるのはノウハウではない。理性の光だ。感謝の気持ちだ。
 SOHOの未来は対等のパートナーシップで社内限定の対等のパートナーを組織することだ。アウトソーシングはするな。それは良心の「絆」で結ばれる。「真の社員」であることだ。変型のイメージは正立しなければならない。新政権がどこまで新しい社会を構想(施策)できるか? 企業社会の論理は転倒している。それを正立することだ。それが発展の論理だ。小魚が集まってクジラになる。新しい知識経済のあり方である。
 いま大手企業のストレスが聞こえる。このストレスは自分に対する嫌悪だと思っている。確かに地球は狭くなる。ある人は成長の限界について語ったが、生物学的世界観は、先生も指摘するように、全体が部分で和ではない世界だ。反数学的だ。ここに形態的の予感がある。企業の分割による子会社の設立と多くの新規商品の開発の道も直近では残されている。しかし、本局は5年ぐらい前から売上げは一定になっている。出版業界という市場の限界という意識はない。設立以来、発展の内在的論理を求めた。しかし、本局には夫婦二人しかいない。
 ここには困難な問題もある。小社は事業承継見習社員がいるが、人格が形成されるにはあと20年はかかるかもしれない。
 2010年の新春を迎えて、20%とはいえないが、この間10数%以上の企業としての潜在成長力を持つことができたと実感している。しかし、この金融危機と先進国の経済成長はどのような屈折を持つだろう。労働市場のミスマッチ、労働市場は解決できない格差をつくるか? 教育問題の深刻さがここにある。ものづくりとしての知識経済のあり方、その意思と実現への道、文系学生の奮起など豊かな知識経済社会を建設していくだろう。多様な知識それ自体が知識経済社会の豊かな経済と文化を象徴している。
 真の中小企業の時代がやってくる。それは先進国らしい「スモールグレイトカンパニー」の品格をもつだろう。

 分析から知覚へ(245頁)
 分析的な概念から知覚的な認識への発展は、コンピュータ登場の前から始まっていた。一世紀ほど前の1890年代、形態心理学は、われわれが理解するのは「C」「A」「T」ではなく、「CAT」であることを明らかにした。実は、現実に存在するものはすべて知覚的な認識の対象であることを明らかにした。爾来(じらい)、児童心理学、行動心理学、臨床心理学など心理学のほとんどあらゆる分野が、分析から知覚へと重点を移行させた。フロイト後の心理分析は、心理認識へと発展した。今日の心理学は、人間の心理過程つまり衝動ではなく、人間そのものを理解しようとする。
 最近、企業や政府の計画立案において、シナリオの果たす役割が大きくなった。シナリオもまた知覚的な認識である。生態系は、全体として観察し、理解しなければならない。部分は全体との関係において存在するにすぎない。
 今から50年前、バーモンド州のペニントン大学の教養課程において初めて、絵画、彫刻、陶芸、音楽などの芸術が、自ら創造するものとして教えられた。大学教育の伝統に反することだった。厚顔にして異端のイノベーションだった。しかし今日アメリカでは、ほとんどの大学がそれらのものを教えている。
 
 40年前ほとんどの人たちが、抽象画を認めなかった。今日では、現代絵画を展示する美術館や画廊は、おそるべき盛況ぶりである。それらの価格は記録を更新する一方である。現代絵画の特質は、絵を描く者が見るものを表現するところにある。それは描写ではない。意味である。
 
 300年前、デカルトは「我思う。ゆえに我あり」と言った。今やわれわれは「我見る。ゆえに我あり」と言わなければならない。デカルト以来、重点は観念的な分析に置かれてきた。今後は、観念的な分析と知覚的な認識のバランスが必要とされる。
 今日われわれの眼前にある新しい現実は、すべて形態的である。したがって、それらの問題を扱うには、概念的な分析とともに知覚的な認識が不可欠である。新多元主義の不均衡状態、グローバル経済と地球的環境問題、緊急に提示することが求められている教育ある人間のモデルなど、すべてが形態的である。したがって私は、読者に対し、考えるとともに見ることを求める。

■佐藤の心理の感情、感覚には一瞬のうちにそれを受け入れ、関心を示さないものがある。
 感覚人間と言ってもいい。だが、佐藤は佐藤のこころと、それは一致している。自己の体系として受け入れる。
 1960年代、青年男子にはVANとJUNのメーカーがあった。VANは当時、田舎のお祭りというか、ハワイのアロハシャツというか、はげ頭の野武士というか、感覚的に受け入れることはなかった。JUNのブランドを好んだ。今もその流れの服装を好む。これは感覚だ。少子高齢化社会になってユニセクシャルになる。たぶん女性の洋装にもヒントがあるだろう。
 デザインのもつイメージ、昔はやっと食べることができる社会になったが、地方から金のたまごが工場労働者として上京し、しかし、消費社会ではなかった。社会はパターン化していた。このパターン化とは政治も企業もベタついて人間としての社会生活のライフプランを宣伝し、金太郎飴社会を画策した。いま年金問題を抱えて退職者の反逆が政治を動かしている。社会問題ばかり発生している。ドラッカー先生は経済が主役の社会から、社会が主役に変わると言っている。新しい時代へ向って爆発したのだ。
 
 形態的、知覚的はその人の価値観の表現だ。個性ある生活感といってもいい。
 知識経済社会は経済のソフト化、経済のサービス化で経済のデジタル化でもある。
 先生の生物的世界観、知覚的認識、そして形態的世界観についても暮らしの多様化といえる。
 ドラッカー先生と共通しているのは、社会生態学に基づいた考えで、先生は生物的と言っている。生物的世界観に多様な野性の動物たちの生態に学ぶ。ここでは形態的あり方の知覚的認識だが、ここに橋をかけねばならない。生物の生態が人間社会に「応用」されるようになった。最新の科学技術資源(エネルギー・機能の応用)として注目されてもいる。動物たちの、植物の営みの論理を応用し、様々な企業が経済の構成物質であるように、その生息という働きがぼくたちにいろいろなことを気づかせてくれる。生物の生態系が新しい人間社会史のあり方を予感させてくれる。
 メディアミックス&ソフトノミックス
/の出発の時、佐藤は「小魚が集まって、クジラになって生きていこう」と思った。この発想は佐藤の弁証法による表現だった。スタッフとイメージを共有した。その形態は群れの形が形であって形でない思考(ドラッカー先生の生物的世界観)が縦横に飛ぶ光の反射といってもいい。ここには形式の変容がある。それはこの経済システムの中で許された組織概念の応用であったかもしれない。しかし縛られることは理念の敗北につながる。組織の現実は、このデ・ファクト(既成事実は正立として認識しなければならない)が歴史的存在なのである。例にとれば北方領土問題も鏡に映る。竹島も鏡に映る。佐藤の性格から現実の延長を求めるが、国内においては現実を一歩改善に向けて前進したい。しかし、旧政権はけして認めようとはしなかった。ほとんど政治政策の外におかれた。ひと言でいえば、多様な働き方を認めようとしなかった。経済団体は多様な働き方を派遣労働にも適用した。ああいえば上佑である。「あれもだめ、これもだめ」の明日の社会を目指せ。ぼくたちはこれまで孤立してきたが、確かに型を破った。
 ぼくたちは、ぼくたちの生き方である個の集合が数学的な和ではなく、縦横に飛ぶ光の反射のようにそこには形があって形がない。ここには小動物としての本能として「生き様」があるだけで、その瞬間の「形」であるかもしれないが、その時々を生きている。
 何人も規定しえない、その瞬間である。それは歴史の瞬間といっていい。この緊張が佐藤にとって心地よく時(間)を刻んでいる。
 しかしここには、個としての生命の固有な本能がある。ぼくたちはそれを論理から出発した。会社の経営理念は正直・率直・誠実・個性だ。これは不易流行で佐藤は1998年の不況の時、原理・原則・基礎・基本・ルール・手順・順序と言った。2009年当たり前で相変わらずを実践してきた。天皇陛下の12月23日のお言葉は、「日々の務め 幸せ」と綴られた。
 この論理が小さな魚の固有な本能であり、本能には自己の有を持つが、この自己の有が全体として集合しなければならない本能でもあり、生物はいかなる生物であっても群生し、群れで生きていることに学んだ。時間は人間社会など存在せず、人間の、人間としての人間社会史がある現実の時間でしかない。それは人間の理性の光だ。
 ライオンのオスはライオンのメスから「三下り半」を下されると生きていけない。ライオンのオスの宿命でもある。メスは強いオスを選ぶ。メスは「種の延長」に関わっている。メスのまわりにオスが群れる。メスが群れを機能(働き)させる。メスは棲家を機能させる。群れを守るのはオスだ。対等のパートナーシップはこの本能の物象化としての観念の概念(男女平等)でもある。
 
 佐藤にとって新政権の施策に期待している。だが、それは群れを維持するメスの本能的愛(母性)と群れを守る強固な掟、この群れを守ることの党内政治に関心を持っている。新政権になって数カ月過ぎたが、国民大政党を目指して党内(大政党)は揚子江のように、こちら側の岸からあちら側の岸は見えない。子どもは親が守らなければならない。子どもが群れから飛び出るとそれは死以外のなにものでもない。野性の掟が群れを守る。群れは常につくっていかねばならない。


 ただドラッカー先生もいうように、西欧の歴史は人間社会史においてそれは「市民」観の形成だった。民主主義の発展の歴史だった。ぼくたちの、「個の存在」の社会的存在は市民としての自由と権利だ。
 生態系に学ぶが、人間社会史の現実への適応と洗練された明日の社会を求める。
 近代経済学は政治に口出しすべきでない、と言ったのは、人間社会の、それは西欧における哲学であるが、道徳のない生物の社会と異なり「人間社会」の歴史に、もはや適応できなくなったことだ。
 直近では、「まともな社会なくして まともな人間はありえない」。人間のための経済を目指せ。
 
 そして、形態的世界観は多様化するマーケティングというところだろう。
 ドラッカー先生のマーケティングの理論は一貫している。マーケティングという理論は人間社会史の哲学として、務め(課題)、責任、実践の生き方だといっていい。ここには形態的世界観といえる概念を提起された。現代という時代を把えている。先生は言及されていないが、ぼくたちは知識経済社会の一員として、アジア地域へ大衆的なアニメやマンガ文化と、作り手の仕事場から発信する当事者の思考と生き様や、そして作品がくっついて 新しい生き方の文化、暮らしを、なんというか、戦後の『リーダースダイジェスト』の目的であった働きを期待することもできるだろう。その感覚はアジアの近代化に役立つ。
 それはどんな工夫があるだろう。現代日本文化と製造業の製品文化、広告戦略の工夫、ファッションもそのひとつだろう。アジアの人々に文化と製造業製品がくっついていき、意識の変容も、そこには考え方もあるだろう。それは『リーダースダイジェスト』の目的とは異なった多様化社会の多様な文化、生活に夢を与え、目標を与え、暮らしを改善し、アジアの人たちが日本の文化に関心をもち、そこにイメージとして焼きつく形態的世界観という新政権の戦略的なアジア政策があってもいいだろう。
 精神的文化の発信があって、アジアの人々はそれぞれの国の発展のビジョンとして、このビジョンを大衆化していくことだ。


 まずわが国は自公政権によってわが国国土を破壊しつくした。それを再建し、日本人の一人ひとりが自信を持たなければならない。
 ついでに現下の基地問題は、土地ブローカーと土建屋に情報を与えないよう国家の財政を守り、自公政権と異なった施策をとらねばならない。自民党はこれだけ国家財政の借金を積み上げたその責任について一言も発言しない。借金は世界第二位となっている。こうして国土を破壊しつくした。


 本題に戻るが、形態的世界観には知のデザインという側面もあるだろう。
 きわめて感覚的だ。
 感覚の遠くに未来を生きる大きな夢がある。金のたまごの工場労働者を吸収する都市生活は郊外の団地の建設だった。都市と地方には、地方にない都市の活況と魅力もあった。
 世界の現下の情報をインターネットで吸収するアジアの人々の未来に生きる夢を日本企業は細かく語らなければならない。1950年代は欧米人の商品サイズをただ新生日本に送り込んで陳列するだけだった。これではアジアの人々の場合もサイズに合わない。大きな夢に向ってそれを語る商品の「見せ方」に生活の夢を乗せなければならない。たとえば商品のカタログについてもそこに夢がどう描かれているか、背景となる「世界空間」の夢の生活のストーリーがあって、アジアの人々の未来の暮らしの夢が衝撃的でなければならない。
 まさしく意識的には文明開化である。そんなとき団地サイズのキッチンシステムを輸出しようとしてもアジアの都市では受け入れないだろう。わが国の商品には暮らしの未来を描く夢を乗せているのか? 時代の躍動とは文化的に知的にソフィースケイト(洗練)された夢を語れば、アジアの若い世代は日本というサイズの夢を与えてくれる文化に関心を持たずにはおれない。観光問題はアジアの夢を日本の文化が発信し、それへのアジアの人々の回答なのである。アジアの貧しさは本来なら知的な感覚が先行し、買い物はそれに続く。
 日本企業は種まきができていない。企業は即物的な金儲けが目的である。これでは精神文化は育っていかない。だから「市場」を育てるという意識もない。
 ぼくたちの責任も大きい。未来へむかって知の創造もこうした長期の国家戦略の中で科学技術の発展と知識文化の創造が必要である。それは文化という「感覚的」な側面も持つ。
 形態的世界観とは感覚的だということだ。
 感覚的ということは暮らしの全域におよぶ。感覚的とはメロディーでありリズムだ。
 そこにはアクセントの音感とイントネーションがあり、ポーズがどのような知的な洗練されたリズム空間を持つか、それは知性そのもののあり方なのである。文化それ自体をどのように感覚するか、選挙で国民が熱狂するのもここにある。
 ということは、文化感という美術観である。
 かつての演歌の恨み節もあるだろう。ここでは本来人間の観念形成というものはこの芸術観を育てていく学校教育であったり、家庭や教育の中で育まれていく。家庭の精神力が中心になるが、外からの教育・刺激も大切だ。
 日本人の多くはいろいろな人がいていいという。しかし、理性を受け入れる感覚的が時代の精神の推進力となる。アジア諸国の文化はこうして発展する。


 21世紀の初頭、佐藤正明はこの資本主義経済システムのあり方に精神的な怯えを持つ。
 それを社会的に解決しようという新政権の夢に同意する。全体が和でない世界かもしれない。
 企業の経済システムは歴史の発展と衝突するだろうか? グローバリズムが巨大な壁となるのか、知識労働者として現実の閉塞感を持つ。だからそれを突き破っていくのは佐藤の言う、「当たり前で相変わらず」の精神が突き進む芸術の無限を求めている。
 まだ過程にしかすぎない。
 本来ならこのような広い世界のビジョンという政策の中で、政治という百年の国家戦略の中で遠くをみつめて欲しい。
 新政権は新入議員に党の持つ理性という文化のメロディー、リズム、アクセント、イントネーションにおいても、ことばでない観念の魂を持ち、未来へ向う人格としての感覚的を会得して、一体となって、自らの意思を音感として会得したとき、それは安定した政治を目指す国民共通の願いをしっかりと持つことができるだろう。
 ここに知とはカッコいいものだ。金儲けとか、得するとか、そんな恥ずかしい芸術観である感覚的であるなら、ドラッカー先生の形態的世界観は理解しえない。演歌の衰退とともにこの時代は消滅する。

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