2003年ぼくたちSOHO知識労働者は、現下の景気低迷が生み出す諸問題に直面している。
この間二度にわたる事業の再構築(リストラ)に直面した。ぼくたちが生産する原稿の価格が低落したことと、それに伴う報酬料金の値下げであった。
一方、アメリカのナレッジワーカーにとっても、いわゆるニューエコノミーは「株価資本主義」といわれたが、広範なナレッジワーカーにとっては一部の現象であっただろう。
アメリカのナレッジワーカーは現下の景気低迷をいかに生きていくか、それはわが国におけるSOHO知識労働者にとっても良き示唆を与えてくれるだろう。
アメリカの いわゆるニューエコノミー下においても、わが国におけるSOHO知識労働者の共通点は「自分らしく生きる」ことである。
ぼくたちは15年前ニューメディアの旗手として出発した。
新聞・出版業界はワードプロセッサーとコンピュータが並存し、基幹部門をコンピュータ化することによって全般的な業務の再編成(合理化)の時期を迎えていた。ぼくたちは外部で「組織の装置」(機関)を生み出し、外部から参入することによってニューメディアとニュービジネスは新聞・出版業界の外部で独立することができた。合理化の外には受け皿としてぼくたちが外部に存立した。
「組織の装置」は対等のパートナーシップで運営され、かつ「組織の装置」は大きな装置ではなく、小さな巧妙で知的な装置として低コストの装置を目指した。ここでは当時の原稿の市場価格が低コストの装置の維持費がかかっても、報酬料金は高く映った。有能な高学歴女性を採用できた。
対等のパートナーシップは、独立自営業者としての実体を享受した。それは独立自営業者にとって高価格な報酬を意味した。1992年4月『それいけ!! ココロジー』(青春出版社)がミリオンセラーとなって、この書籍に携わることができた。そして新人大型ライターが誕生した。1997年12月4日スターツ出版発行の『あなたが選ぶ生き方』(OZマガジン)でスタッフが取材されたり、フジテレビTV番組「スーパーニュース」1998年9月30日スタッフが取材報道された。1999年には、PHP研究所の月刊誌『THE21』4月増刊号でも「誰でもできるの? 収入は安定しているの?」として取材された。この時期スタッフの月収は最高70万円、40万円、30万円がゴロゴロいた。
現下のデフレ経済がもたらした原稿価格の低落は、これまで二度のリストラを余儀なくされた。ダイナミックな歴史の変転である。グローバルな経済は国際価格の平準化をもたらす圧力となるだろう。報酬料金の削減はぼくたちにとって厳しい現実だった。
ぼくたちは「自分の人生を生きよう」と思う。それは「自分らしい人生を生きる」ことだ。やりたい仕事、なりたい自分に正直でありたいと思う。SOHO知識労働者が携わるニュービジネスの可能性を拓く立脚点となるであろう。時には対比較において納得するお金がくっついていることが大切だ。働いた結果の成果物が自分の存在を意識する。
2001年同業他社間の競争は激化した。そこでぼくたちは「在宅ワーカー」から「ホームオフィスワーカー(SOHO)」への意識の転換を自らの課題とした。それは納期の圧力(原稿の締め切り時間 dead line)を背負わねばならなくなった。これはクライアント様への最大のサービスとなり、職業意識の変更を迫るものであった。在宅で好きな時間、空いている時間に仕事をしたいという在宅ワークの意識は、プロとしての職業意識への転換を必要とした。プロダクト・アウト(生産者志向)からコンシューマー・オリエンテッド(消費者志向・顧客第一)へと職業意識の転換を必要とした。働けば働くほど所得は増大する。短納期化を目指して好循環のサイクルを満杯で回した。
しかし、一筆付け加えたいことがある。それは売掛金が5.3カ月となっている事実である。書籍ができるまでには半年はかかる。再販制度の実態もあるだろう。ぼくたちSOHOは、この厳しい現実を現実として受け止める。ピンチはチャンスに変えなければならない。開き直りかもしれないが、ぼくたちは6カ月の売掛金を持って、不慮の事故、病気、休業に備え、そういう意味で賃金労働者の失業保険と同じように、ぼくたちは6カ月のリスクを伴なうが未来の現金といえる備蓄を持っている。ピンチはセフティに転化した。6カ月先の売上げを読み、半年先が見えるようになった。自分たちの力で展望を拓いた。ここまで組織の装置がソフトランディングを保証するには、小さな会社だが3,000万円の金融機関からの融資の支援が必要であった。
2000年よりバウンダリレス・キャリア(境界なきキャリア)を目指して、専門職間の交流をした。社内イントラネットがナレッジマネジメントの場となった。専門知識と技術の交換の場である。バウンダリレス・キャリアを目指して「学習する組織」こそ「やりたい仕事 なりたい自分」を目指し所得の増大につながった。こうしてコンポジショニスト compositionist(電子組版する人)は、日本語の書き表し方や約束事を学習して校正者になったり、ライターとしてもこの間3名が新しくデビューを果たした。自分の執筆した書籍を書店で見ることができた。そして涙をながした。
アメリカのナレッジワーカーも、ぼくたち知識労働者も、「自分の人生を生きよう」「自分らしい人生を生きる」。ここに焦点を合わせて、ぼくたちの苦悩の脱出口とした。ここに不純があるとすれば、仕事は手段でしかない人々だろう。自分たちは天職にしなければならないと考えている。仕事がもし手段であるなら、手段は利用することでしかない。
「自分が自分になる」には、この不純があっては自己実現できない。
「学習する組織」を維持するためには、小さな維持費も必要だ。だが、ぼくたちはこの「組織の装置」は学校であると信じている。授業料をとる学校ではない。全額会社が負担してコンピテンシーの開発のために、人材の育成につとめている。報酬料金をもらいながら学習する。
株価資本主義から目を覚ますことができないアメリカ経済と、アメリカのナレッジワーカーは違うと思う。実はぼくたちと同じなのだ。2003年、アメリカのナレッジワーカーと共にこの歴史的現在を苦悩を持って生きていく。ぼくたちにはマスコミ出版業界で編集者に信頼されて役に立ち、期待される「ミッション」(使命)を背負って……。ぼくたちはマスコミ出版業界で、こうした現下のデフレ経済の試練を乗り越えて自己実現を目指してきょうも仕事をしている。
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