2006年の新春を迎えて
約10年にいたる経済不況の長いトンネルから灯かりが見えて、半分過ぎたと言ったのは、2004年の春であった。あれから1年半後の2005年6月、メディアミックス&ソフトノミックス/は長いトンネルから脱出し、それはバブル経済崩壊以後ともいうべき、新しい21世紀の時代の風景を見ることができた。長い、長いトンネルだった。
2006年の新春を迎えて、このわが国経済は各駅停車で繁栄の目的地へと向かおうとしている。おそらく、快適な電車の走りを体感し、車窓から好況の景色が見えるのは、あと1年半もかかるだろう。2007年頃の末になるかもしれない。
いま、デフレ経済が続くか、デフレ経済から脱出するか、その最終の岐路にあるといわれている。おそらく、この最終の岐路は、今年後半まで続くのではないかと思う。
今年も街では不況とデフレの風が吹いているだろう。それは二極化した、不況と好況の入り混じりの中で、みんなと一緒に好況の横断歩道を渡ることはできないだろう。不況と感じる「街の風景」でもあるだろう。
SOHO知識労働者として期待するものがある。小泉首相の構造改革が経済成長率2.5%の壁を突き破り、この永続改革がわが国経済のダイナミックな経済成長を回復するか、否か? 少子高齢化社会の要因があるとはいえ、どうなるか、永続改革に関心をもっています。
こうした中で、経済成長率は2%弱前後が予測されており、大勢に変化なしだ。
メディアミックス&ソフトノミックス/は、長いトンネルから抜け出て反転攻勢に入った。
ぼくたちは、リストラによって傷ついたこころを癒し、隊列を整え、元気良く進軍するには、自らの周りを整える必要がひとつある。2006年新春から、そのための準備に入った。
まず、「気」を整頓し、しかし、「気」へのクスリは何といっても景気の元気の「気」を現していくことだと思う。
在宅ワークを自分で再評価し、去って行った人も外で苦しんだことだろう。もう一度帰ってきて、仲間になるのを受け入れたいと思う。再び仕事の仲間になろう。ご連絡ください。
2006年、現下の景気を背にして、二つの癒しが意味を持つ。ひとつは、疲れを癒して羽をつくろう準備期間であること、二つ目は、元気の「多少の懐具合の元気」を感じていくこと。この二つである。今年の施策はこの二つを同時に展開していく。
e労働生産性の高まり
2005年は「宅ふぁいる便」「おくりん坊」「Web@Postman」などが利便性を高め、お仕事の入り方として、このITのメールによってe労働生産性を高めました。ウェブオフィスの営業情報に入れるといつでもどこからでもダウンロードができます。合理的で利便性がよくコスト安です。しかし、セキュリティはもう少し様子を見なければなりません。
もう一方、メディアミックス&ソフトノミックス/におけるウェブオフィスを通したe流通革命、独自の電子流通体として社内電子オフィス網を流通へも転換させ、結果として既成の流通からe流通革命というべき、サービスを「収益」へ転化でき、個人情報保護法と機密保持を背景とした電子コンテンツ・データのセキュリティの確立ができました。
これは2006年度もクライアント様への対応のヒントになる点だと思います。
出版社の社内部門の「機密保持」に対する対応として、ウェブオフィスのもうひとつの転用が考えられ、無料としてサービスを考えていた過去に対して、コンテンツ制作のセキュリティサービスはご時世の結果として収益につながっていくと感じました。
今年は出版社社内部門へと拡大していきたいと思います。
業務委託契約は「個人情報保護法」及び「機密保持」の条項をもって拡大しました。
「知」の大競争時代に入る
大競争を勝ち抜くマルチテクノロジストの総動員が始まっていく、知の競い合いの時代がやってきた。本質的な競争への突入である。
同業他社と決定的な差別化を展開していくには、「原稿のつくり方、扱い方」に精通していくことだ。それは出版社の編集者も認めた「OK、これでよし」と言われる原稿のつくり方である。
それは、コンポージィングの仕事について学ばなければならない。日本語表記に対する扱い方、校正者の校正諸能力を土台とした校正へ向きあう仕事への心構えを「教育」し、原稿への自己評価が自分でできるようになるまで、原稿のつくり方に精通して精度を高めていくことだ。
そして、そうした原稿づくりの完成度をもって第一級のトランスクリプション(録音再生原稿)やスクリプト(組版原稿)の土台になっていなければならない。そして、その土台の上に、あなたの知識が聳え立つ、第一級の原稿づくりへ向けたキャリアステップへの舞台裏です。
つまり、コンポージィングにトランスクリブションづくりのノウハウが隠されていること。コンポージィングはコンポージィングの道を究める。究めるとは、校正者として自立していくことであり、校正者として羽ばたいていくことだと思う。
今年は、人づくりと原稿づくりをここに一致させていきたいと思います。
ここには、人づくり(成長)のノウハウがあります。みなさんも自分のキャリアステップへの視点をここに置いてください。成長のトランジッションのステップがここにあります。
知識サービスの新しい展開軸――原稿は物質(マティール)だ
インターネットで調べた項目について、編集者にとって新しい情報(知識)であることや、既知の知識や既知の情報であることが、トランスクライバーの知性で自分で評価、測定できる力がなければなりません。
これは、付加価値情報だといえる。事実、現実的な調べた項目について、その経緯などをそのままムダにするのではなく、ホームページのアドレスをディクテノートにして申し送りしてはどうだろうか。失敗もあると思いますが、挑戦していこう。
編集者やライターさんと対話していくトランスクライバーであることを目指します。
自分でディクテノートを進化させていくには、どうしたらいいか、そこに視点を置いていこう。
電機産業やその他製造業における特許は、いろいろな改善、工夫から生まれています。この改善や工夫を理系的な仕事とすれば、文系のトランスクリプションやスクリプトづくりは、この「ディクテノートの進化のあり方」に求めることができます。何を申し送りしたいか、そのプロ的な眼から自己評価と測定した視点を申し送りするのも、何かを編集者は「ハッ」と気づくことになるでしょう。
ぼくたちの仕事とその生命活動の現実は、弁証法による分析では三つに分裂する。
1 現実的な生命の営み、暮らし、生活、自分自身にそなわった存在(生命活動)としての環境(サーカマスタンス;周囲の状況)
2 理論的な側面として、わたしの目指す生命意識(知識・ハウツウ)の現実的様態
3「共同の課題」へ統合される実践的意識(行動)、知的な精神の活動として原稿(物質)づくりへ
ライティングにあたりこれまでのように、自分のいろいろな体験例が、「あっ、こういうこともあるのか」といった著者の原稿の執筆に「付加」することも、知識サービスになろうかと思います。観察したり、工夫したり、経験したり……。
2006年度も、佐藤の言う「つくるサービス」の実現を模索したいと思います。
原稿(マティール)は、モノや文化をつくる物です。サービスの業者と位置づけられたこともありました。それはわが国の文化の水準だと思います。日本語で考えるな! 英語で整理して考えろ。
ぼくたちの仕事とは、「共同の課題」として編集者がその成果を統合されます。統合とは、価値の新しい創出です。
知の大競争は、著者と編集者、ライター、トランスクライバー、コンポジショニスト、校正者が、「共同の課題」へ、ひとつになって向かって創造していく、つくるサービスを実現します。みなさんの知的な表現(仕事)を期待いたします。
仕事に必要な知識と技術が発揮できる現場力を強化し、現場の中核を担うマルチテクノロジストの育成を拡大していきたい。自己の本来の固有の知識と生産のための知識は、ぼくたちのコンピュータの私的な所有と結びついた生産手段でもある。表記上の統一が必要のため、個人による生産単位になる。そして、そのうえに「支え合え、助け合っていく」チームワークがあって、それはひとつの職場、ひとつの場に集まっているのではなく、各地に分散している。必要な時、必要なだけみんなとつながっている。いつも新鮮な関係だ。こうして「知」の本質を競い合う大競争時代を戦っていくのだ。
延長の思想
入れたものは出さねばならない。入ってきたものは、育て価値をつけて出さねばならない。
アダムとイヴが男と女の歴史の始まりであったように、男と女、インプット(input)、アウトプット(output)は、延長の思想なのです。多様な環境や歴史をつくっていきます。こうして無限に広がって延長します。存在とは多様な延長なのです。インタラクティブな生命活動相互の交通と交換で、inから入って、outから出る。inにつないでoutから出す。
同業他社は仕事が入って仕事を納品(出す)するまでどのぐらいの時間がかかっているのだろうか。(納品日時)。好循環を良くすることは回転を良くすることです。一人ひとりから全体としてそういうシステムになっているかどうか、それは企業に存続の延長の概念が実現されているかどうかだと思います。e労働生産性を発展させていきます。(おカネの回転も良くするぞ)
雇用労働者は、労働力を出して、カネをインします。どのような形であれ、インとアウトの経済社会の物象化(連想ゲーム・心象)、そのような形の変えた運動の機能(働き)があるかどうか、それが活性化している事実だといえます。よどむという運動は沈滞しているからです。そうした物象化はなにものかに転化して、変転していかねばなりません。それが持続するリサイクルになっているかどうか。
人間の身体を生物学的に見た場合、人間の身体の機能がインとアウトの二つの機能(働き)によって生命にとって大切なエネルギー(生活技術)が精神に蓄積され、延長(存続)していく。
自分の周りにもインとアウトの活性化をもう一度考えてみてはどうだろう。
今年は、みなさんを大切にする「自由な人間観において大会社」を目指していきます。
ぼくたちの社会はモノの充足を経て、それは各人の能力において獲得されてきましたが、この論理の目指す(止揚・アウフヘーベン)ところは精神においても解放される自由と真の労働の喜びを建設していく。
目指すべき分散型共同企業群の進むべき道を建設していこう。
※「物象化」とは連想ゲームのことです。絵画や音楽、演劇の演技も含めてすべての芸能・芸術はその人の持つ連想ゲームから出発します。あなたの人生を背負ってそこから発せられる事物の連想、こころの内部に連続にしておこる記憶に重なる心象など、それはあなたの考え方の個性です。
物象化からシミュレーションが 生まれ分析が生まれる。テレビゲームのゲームも物象化をつくり、これらは広く芸術的行為である精神の働きでマティール(物質)である。
本質の目的因は類的存在への共感であるとしました。この人間社会の物象化という重層的構造を豊かなもの、希望あるもの、美しいものとして、この物象化の中に飛び込んでいくのです。
物質=現象にはそのものにそなわったイメージ、連想ゲームで連想する物象があります。
江戸時代まで日本人は宗教的呪縛から逃れることができなかった。過去の時代の封建制から解放されて、独立した精神(個の確立)の自由を獲得した。明治の女性たちは過去の歴史(現実)の亡霊に縛られていた。
人間社会史の歴史的事物です。あるいは現実(現在)の事物です。日本的なるものも含めて新しい21世紀の知性は英語でものを考え、英語で整理して日本語へ再翻訳するのです。新しいものの見方、考え方が生まれるでしょう。
そして、素直なものの見方が人々の共感を得るのです。本物とは何かを芸術は第一番に教えてくれる。
K.マルクスは唯物史観の側面から物象化を描いた。一分派としてのマルクス主義の思想を解体していこう。
(2001年2月27日 ウェブオフィス 電子掲示板「教育・啓蒙」へ投稿から抜粋、加筆を多少しました)
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