1.長い不況のトンネルを半分過ぎて
政府は景気が「ようやく明るい兆しが出てきたが、まだ、本物ではない」と発表した。
新聞や各方面からのリポートも景気は回復しつつあると言っている。まだ「本物」の回復の兆しではない。そう認識すべきだろう。
昨年秋、長い不況のトンネルを半分過ぎて、出口の向こうに「明かり」が見えてきたと言った。トンネルの中をあと半分以上は走らねばならない。それは、わが国21世紀が動き出す点火の灯かりだ。
明治維新は姿、形の「ざんぎり頭」に文明開花の音を感じたが、2004年、新しい時代の転換の意味するものと目標への弓の「的」は人々の目に見えない自分たちのこころの中にある。自分のこころが「的」なのだ。
2004年の新年を迎えたぼくたちは、新しい決意にも似た思いをもった。リストラ後の後始末は半分残っている。追風となる「灯かり」に希望をたくしたい。
20代、30代の若いビジネスマンが自分たちの未来について、個人的には今年こそ人生や仕事の設計についても、ある思いをもったと思う。それは人生への過去のいつの時代にもあった年初の新しい希望でもあっただろう。
しかし、中年以降の高年には塩漬けになった古ぼけた希望が眠っているかもしれない。新鮮に時代の呼吸と変化を読めずにいるかもしれない。それはちょうどバブル経済の崩壊で塩漬けになった自分の不良債権にも似た思いであるかもしれない。そして大企業中心の「灯かり」は、小企業にとって念仏以上ではない。
今、二つの異なった動きが現れてきたと思う。「日本人平均年齢42歳」の希望(青春を謳う)への未来と、不安(中高年)への未来である。それが2004年の幕開けであった。それは、どのように希望をつくり出していくか、未来をどのように創造していくか。
ぼくたち在宅ワーカーとSOHOは今、新しい希望をしっかりともてるかどうか、新しい時代と呼吸していく新しい人生の設計をしっかりと自分のものにしていく道を希望をもって開拓していく勇気があるかどうか。自分たちの「今」を考えている。そしてそれは親方日の丸の傘下ではなく自分が「主体的」にかかわっていく時代なのである。自己責任への時代へと突入したのだろうか。
塩漬けになった不良債権にも似た思いは、不満が不満を呼び、人生設計の不安を呼び起こすだろう。それは社会もそうだか、社会のせいにしていないか? あの快適な人生への思いを「一大転換」で再びつくり出させねばならない。快適な人生設計への「転換」は、新しい時代にそった「転換」(トランスクリプション:転写)でもある。
2.新しい時代の転換期
自分たちは人生のレールのポイント地点にいるのだ。
ポイントは目的に向かう季節(時代の季節、人生の季節)の転換点でもある。今年、時代の転換期であること。
ぼくたちは、どうすべきか?
こんなふうに考えている。戦後社会システムの総決算、バブル経済の総決算は、明治維新と第二次世界大戦の終戦以降、現代において三度目の転換期でもあるだろうと認識している。
新しい時代の原理、原則、基礎、基本、ルール、手順、順序を主体的に再構築し、自己組織化していく新しいパラダイム転換の時を迎えていると思う。不易流行の原理もあるだろう。ここへ回帰することも必要だろう。しかし、新しい服に着替えなければならないこともある。それは新しいマナーが必要かもしれない。
3.コラボレーション型業務プロセスへ
2004年企業社会は戦後企業組織のシステムの変更が求められるだろう。それは業務プロセスの改善という「樹を見て森を見ない」視座から、ぼくたちは「組織全般の改革」という立場からみつめてみた。それは軍隊を見本とした「命令と報告の組織」から、連携による協働というべき対等のホウレンソウ(報告、連絡、相談)のシステム【コラボレーション(協働)型】への変更である。自分以外は、すべてお客様(次工程はお客様)を徹底、自分に都合のいいことは相手に都合が悪い立場への変更でもある。軍隊の組織の名残を残さないことも大切だろう。そして対等のホウレンソウの掛け合いは各人の自己責任による創発に基づいたキャリアアップを創り出すものでなければならない。
「樹を見て森を見ず」は、業務プロセスの改善を見て、戦後企業の組織的な変更を見落とすことではなく、それは生産効率を向上させるだけをテーマとするのではなく、品質をより重視し、業務の本質としてリピート客を増やすこともテーマとなる。対等の創発による「報、連、相」はウェブを通して「いつでも、どこでも」(ユビキタス)を実現し、それが新しい気鋭のオフィス像としなければならないだろう。「セル生産的な一人作業」「一人か、分担・協働で行う多品目生産」それらの品質を重視することも対等の「報、連、相」に基づく、主体的な自己組織化による「業務プロセスの改善」を生み出していかねばならない。
4.コラボレーション型業務プロセスの働き(機能)
注意したいことは自分の都合で業務の再組織化することではなく、顧客第一の立場にたって自己の業務を見直すことだと思う。働き方や仕事の仕方がこの基軸から変わる。仕事に対し、それは自分の都合という意味ではなく、「自ら主体的に」ということだと言いたい。主体的にといったのは、自分の都合をいうのではなく、「あるべき業務」をいかに主体的に関わっていくかということである。そして、これまで宣伝されてきた在宅ワークのイメージの落とし穴に陥ってはならない。
ぼくたちの労働生産性を高めて、更に品質を向上させるためには、漠然とした固有の業務プロセスを持つことではなく、意識的主体的に業務プロセスの要素や節目に「名前」をつけて、労働と生産の用語をもつべきだとも思う。それを細分化し、組み合わせて統合したり、独立させたり、効率を良くするにはどうしたらいいかを考えてみたいと思った。
業務プロセスは考え方によっては改善できる。思い切った見直しもしたい。
労働と生産の用語は手法でもある。この手法に名前をつけたい。名前をつけて客観化したい。みんながどんどん意見を出し、普遍的で効率的であることも必要だ。
自分のやっている独自の労働工程を生産の工程として客観化することである。みんながより個性ある知恵と工夫がそこにあるかもしれない。
誰かが自分の業務プロセスを説明され、仕事概念の「交換」として「協働概念」へ高めることである。それは生命の交換につながるだろう。つまり本物の業務工程となる。あるいは実現する。
業務プロセスの改善をテーマに考えてみたが、知識労働者として自らを自己規定するぼくたちは、生涯プレーヤーとしての労働者的性格も持っているだろう。当然、時間コストの意識、作業平準化を工夫する意識――「取りに行く、探がすのダラリ(ムダ、ムリ、ムラ)減らしが付きまとう。
5.コーポレートブランドづくりへの道
各人が神々であるマンダラの組織はインターネットと結合した先進気鋭のユビキタス・オフィス像を創造したい。そしてこれを推進するエネルギーこそ各人の「主体的」働き方が求められる。「主体的」であること、これは2004年新しい言葉になる。
いま新しい灯かりが見えてきたと言った。これまでの「失われた10年」の崩壊の時代はよく見えてきたが、創造の時代に入ると何が新しい創造的要素かを確定できずにいる。だが予感する。
政府の構造大改革がもたらす、新しい時代の「正」なる動きを肯定し、「反」なる動きを除くことだ。そして「主体的」であることだと思う。
いずれにせよ、「業務プロセスの改善」がコラボレーション型に変わり、ここからにじみ出る品質、仕事の品性や品格、匂いや香り、働き方のスタイルを編集者に発信していこう。
コラボレーション型業務プロセスはみんなと「つながって」初めて労働生産性と品質の価値を生み出せる。編集者は知識のソリューションの対象といえる「共同の課題」としてみんなが知恵(申し送り)を出してこそ、ここに新しい価値を集約して生み出すことができるだろう。そしてそれが小社らしいパートナーシップを生み出すコーポレート・ブランディングづくりの力になっていく。
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