1999年(平成11年)の秋は中小企業国会となった。創業・ベンチャー支援と雇用の確保(目標)が目的である。ぼくたちの眼前には、労働省家内労働法から区別された「在宅ワークガイドライン」が検討されている。ぼくたちは高い山でなくてもいい、青い空に聳え立つ美しい日本の、この国の山々が見える雲の近くに登りたいと考えている。特別の融資を受けたり、店頭公開やいわゆるベンチャービジネスのカネまみれの起業家になることよりも、在宅ワークのSOHOから出発した。ぼくたちは独立自営業者(在宅ワーカー)である。それは1999年の歴史的な現実的な存在でもある。ベンチャービジネスの存在とマイクロビジネスの区別されうるものと同一視できうるものとの同時、成立と考えている。それは、特別な施策によって、重装備で山へ登るか、仲間たちと手をつないで一歩一歩頂上へ向かうかの違いでもあると考えている。
企業の幼児死亡率(倒産)は現下のアメリカにおいて、1年目28%、3年目18%、5年目10%、6年目で存続しているのは44%であるという。わが国においても1年未満で約30%は倒産している。実際は倒産している実態にもかかわらず倒産していない(?)企業をいれると70%以上と推定される。
わが国において、巨大企業から「零細企業」「自営業」まで、層別されるように、重層的な経済構造を現存させ、ぼくたちの時代を自ら生み出し、時代(経済環境)と共にSOHOの形成期を迎えている。今は幼児期なのだ。
生活と労働の融合がもたらした形成期のSOHOは、それゆえに考え方や意識の土台が多様であり、それが在宅ワークの多様な形態(実態)を生み出している。多様な勤労観、生活感、多様な生き方とその意識、人間観と家庭観(夫婦像)は、在宅ワーカー相互の差異、区別、相違をつくっている。各々の個性であり、各々の能力もまた個性だ。家庭生活の意識から隔離された職場の意識、職場のヒューマンリレーションは自由で奔放な姿を想像できない。しかし、一方では、職場(賃金労働者)の意識を超えた徹底して仕事へ向き合う起業家精神がエネルギッシュで多様な考え方を発現させ、ぼくたちの形成期はこの二つの文化と意識の混然とした、しかも曖昧な衝突を生んでいる。競争をつくり出し、自己と挑戦している者、自己実現と不可分であるが、家計の補助意識にしかすぎない半分賃金労働者意識の渾然一体とした姿である。小社「組織の装置」にマネジメントされ統合されている。
そして、ぼくたちの時代は、人生の既定路線から大転換が求められている。次世代経済社会の新しい目標と価値を定め、挑戦する勇気を持った。大競争時代で、ぼくたちの価値観は次のステップへと進まなければならない。働かざる者(能力のない者)食うべからず(仕事が無い)の原理だ。現下の企業社会にはない原理で、わが国賃金労働者全体の10〜15%の人しか、この原理についてこれない。生活できるか、できないか――賃金労働者の意識の外にある。しかし、それはむずかしいことではない。「仕事をしっかりする」。その積み重ねである。
21世紀最初の10年、知識産業社会は今、その形成期を経過して未来へ至るだろう。知識労働者(ナレッジワーカー)の新しい目標と価値、そのための新しい意識と文化が求められる。
今、パラダイムが変化する時、自分に回帰する――勤労観、生活感、生き方の土台を小社は求めた。食べるために働くのではなく、動物から区別された人間として、人間社会の成り立ちが、夫が、妻が、子どもが、おじいちゃんもおばあちゃんも、自分の「おつとめ」(お勤め=人の役に立つ)を持って、生かされて生きていく(ご飯が食べられる=報酬=謝礼)のだという原理に回帰する。良質な仕事(仕事のセオリー)は良質な商品をつくる。
「在宅ワークガイドライン」の未来は自分たちの新しい目標・人生の生き方や価値を支援するものでなければならないだろう。そして、自己実現を目指して半分賃金労働者の「快適さ」を守る施策と保護の両面が必要である。適材適所のチームワークで助け合って生きていくのだ。
自分に回帰する勤労観はいわゆるベンチャービジネスと一線を画している。市民・生活者・消費者の目線で区別している。各人の古くて新しい勤労観は、人生の新しい価値を自己権力として、アイデンティティはインデペンデンスへと高まるだろう。独立自営業者の命運は、旧来人生の既定路線と異なった新しい目標と価値を見つけ出さねばならない。21世紀、自己責任の基に新しい生活と資産形成は賃金労働者と異なった新しい価値観から生まれる。
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