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 ちょっと佐藤の草稿をつくるためのメモになるけれども、みなさんも考えてみてください。
 人間の生命活動ということばを佐藤は使ってきました。近頃はよく新聞などで見る用語となりました。しかし、この生命活動とは何か、よく分かっていないと思います。佐藤も考えのメモを取ることにしました。相互理解を深めていきたいと思います。

生命活動一般について

 生命活動は動物にも見られます。動物の唯一の働きとは巣作りです。巣は動物の本能と結びついた人間の労働と同等性があります。

 認識の哲学は自己精神から出発して自己精神へ回帰してのみ認識は成立する。
 真理と科学は何よりも真理が科学を生み出し、科学は真理を再検証し、だから真理は自己精神の無限に解消して行為の哲学(実践的本質)が誕生した。

 この場合目的因の交換と交通を協働(独 Zusammenwirken 一緒に効果を上げる)を現実的の視角から把える。それは人間社会における諸個人の協働である。
 個体的協働の点は場において実現される。場は活動の場である。全的に統一されて把えられる。

 生命活動の本質は目的因、協働の概念をそれ自身から規定した点は場をえて概念の本質は3つに分裂する。
1)現実的本質 人間の交通と交換
2)理論的本質 現実的生命意識
3)実践的本質 現実的生命活動、諸個人の交換と協働 以上を現実的様態として把える

4)類的行為を抽象する 類的行為とはGattungsact  getting(独;種類、種族)

National states(民族の独立と国家)の近代前史における理論的構想の予感

3つに分裂した形式は理論的要素が予感される。事物、ここでは生命活動の真理としての本質、原則が規定された。

人間の生命活動の原型を洞察すると「国滅びても人類は生き延びる」といおうか、金融資本主義が崩壊しても人類は元気だ、ということが見えてくると思う。
それは生命活動の交換と協働がそれなりのサイズで永遠に、といおうか、長期にわたって続いていくことが、この佐藤の思いが考えられる。
資本の働きはどうなるのだろう。資本の働きを代替する経済システムが出現してくるか。
現下のアメリカ経済は今朝の日本経済新聞(平成23年8月7日)は苦悩するアメリカの中で――富めるアップルの陰で 成長の果実 国内素通り――が目をひいた。
たとえ国家が借金だるまになっても、民間企業はそれぞれに元気に活動していることだろう。それは「自分の顔や身体にまとわりつくハエは自分ではらわねばならない」ことだ。母親は子どものハエをはらうことに愛を示すことができるが、企業統治ができるサイズ、時間や空間、場における自己統治の範囲内でしか、そこには可能性が及ばない。

国家の崩壊と同時に、場における金融資本主義の統治も過去に遡って自己の範囲内でしか統治できない。
国家は崩壊しないという神話も成り立たない。
神話の好きな日本人が自己崩壊していく未来を見る。

日本経済新聞は朝刊で一面下段に岩波書店の書籍広告が案内された。
『リスク化する日本社会』『<私>だけの神』著者は2冊とも、ウルリッヒ・ベック著である。この大震災で分散型の時間と空間、場とは何かの視点を失っている。
 サイズが小さいほどその余裕が出てくる。
 ぼくたちのマイクロビジネスは今回の大震災におけるBCP継続的事業計画)、BCM(継続的事業マネジメント)とも貫徹された。
 大きいことと時間と空間は新しいリスクとなるだろう。「自分のことは自分で行う」という原則とその範囲内であれば救われる道もある。だが、「みんなで横断歩道を渡れば怖くない」ということにはならないだろう。出し入れ自由の部品がシステム化しているか? ものづくりの基本なのである。アイディアものづくりはシステムが同時に壊れる。理念と論理がひとつになって、一にして多、多にして一の論理構造になっているか? 

 日刊工業新聞(平成23年9月8日)は『機械技術』10月号の紹介で、――機能不全に陥らないための設計 まさかの事態を想定――理系設計者は論理不全に陥っていないか? 頭が性悪説では「治療」の方法はない。論理がつくれないからだ。企業環境の革命が必要だ。

 したがってアイディアものづくりの時代は終わった。安全神話も崩壊したのである。
 一番おもしろいのは企業構造である。

 企業は教会のように永遠なるか? 理念という神学とその組織化の内容と意味について考えよう。

 個は目的に引き上げられ、類は手段に引き下げられている。人間は個としての生活との間に矛盾が生じた場合、意識的に後者のために前者を犠牲にする。協働の望ましい本質である。

 自己保存の本能、自己産出の衝動、類的本質=生産本能と矛盾した場合、自己保存の本能、子に対する母のように衝動を忘れる。
 人間社会における世界観の変転は
 生物的世界観から自然的世界観、そして理性的世界観へと成長しなければならないだろう。人間は自然死の確実な前兆の中で、生そのものがはじまる。
 類と個の目的と手段の顛倒を前に悩み抜かねばならない。

 類は個において個を媒介として活動する。類的な存在は個の外で生き、個はそれを通して自分の外にある類的存在(あるべき姿)が活動し、だから個はあるべき姿を通して生きる。しかし、類的存在は個の生活の手段に落とされている。個が生活の目的であって、類的生活(あるべき姿)は手段になっている。この転倒は性悪説が原因である。

 生命活動における実践的本質の悩ましい姿を理論的には幸福のあるべき姿はここでは実践的には貨幣である者が多い。
 本局のここ3年間の営業政策は「当たり前で、相変わらず」を展開してきた。
 思考を停止し非哲学的なバランスと考える者(雑な思考)もいるだろう。
 生物的世界観から自然的世界観、そしてこころの理性的世界観へと自己は成長できるか。2011年春、大震災はここに志の経営を接ぎ木した。
 松下幸之助先生からドラッカー先生、そして志の遠い道を描いた。

 人間の生命活動の内容は大きく分けて四つある。
 ひとつは豊かな平和(P)と幸福(H)の生命活動の土台というべき経済活動(労働と職)があって、それから文化社会(ソサエティ)の衣食住はこの土台の上に聳え立つ。衣はいろいろな生活の演出にも見られる。しかしここでは権力の象徴ではなく病院服や介護服、自宅での服、海や登山、作業服もあるだろう。健康と直結する食にもいろいろ考えられる。住は狭い日本で高額な商品だ。土地や家、家具、家電設備、個人的な生活感に基づいたいろいろな電子製品もあるだろう。
 生命活動全体を説明するには人間の人間らしい生き方はその人の時代によっても考え方が異なる。その人の生き方が生命活動(暮らし)を特徴づけている。

 本来は機械化によって生命活動が「豊かになったのではなく機械に使われる効率と能率志向の成長神話」を生み出した。平和(P)と幸福(H)に満ちた生命活動の交換と協働の企業社会を作り出すには成長神話から協働の「一緒に効果をあげよう」という効率、能率志向のロボットの発明であって、人間中心の「効果」に分裂しなければならない。モノに対して、効率と能率を志向し、人間を主人とした方法を仕組みとした社会へと模索せねばならないだろう。出産、育児、子育て、復職、介護の高学歴女性に優しい効果を上げる仕組みこそ、知識経済社会の知による創造なのである。
 メディアミックス&ソフトノミックス/は出来高制で、給料制の企業とはいかに違うのか? 品質・価格・納期を目指して人間である「労働者」に対して「出来る」ことと「出来ない」ことの境目を持つべきである。人間本来の能力、実力に応じた対応をとるべきだ。「雇用」の拡大はワークシェアリングではない。出来高制による実力・能力に応じた人間本来の平等を目指すべきだ。

 人間の未来の生活を設計するのに、高齢になっても活躍するには自分にふさわしい身体のいろいろな生命活動の道具が現われてくるだろう。
 しかし、人間の生命活動の巣作りをどのように位置づけるか。本能と結びついているけれども、自給自足の労働から余剰労働によって余剰生産し、交換や協働による仕組みが労働による生産市場(いちば)という交換の場をつくっていくのも、他の動物と異なった人間の生命活動といえる。実はこうした余剰労働によって文化や文明をつくっていく力になる。国民が権力や歴史的なるものによる規制のない仕組みや道具を活用して生産余力を持つということは文化の力を示すといってもいい。本来の国民の力(民力)だ。ここには、市民といわないで国民と言ったのは、今日の国民の民主主義政治を前提にしている。
 こうした文化は生命活動の多様性を文化として生産と技術が革新しイノベーションを興していく本来の力で、それは人間の知恵があってこそ発展してきた。文明国家か、発展途上か、後進地域が特徴づけられる。

ぼくたちが獲得した生命活動における生活と労働の融合

 地方やオールド産業に見られる協業とは異なった21世紀のSOHO知識労働者は家庭に入り込んだコンピュータとデジタル電子機器を使って所得(付加価値)を生み出している。
 ぼくたちにとって生活が第一義的であり、第二義的なのが労働である。前提となるのは高学歴女性の既婚者であることだ。現実的には夫も妻も職業を持っている。ここでは夫婦の尊重し合うパートナーシップが前提だ。これが生活と労働の融合という内容(本質)である。近代の知の体系化は細分化によって科学や技術、新しい仕事の文化が発展してきた。知の細分化とその文化はコンピュータが産業のコメとなってコンピュータと機械が結合し、コンピュータを活用することによって知の細分化にも現実的、歴史的本質の集積がデータベース(DB)として社会の諸問題の問題(課題)解決を行う21世紀の知が建設されている。ぼくたちの働き方(分散型共同企業群)もここから生まれた。

生活と労働の融合という要素(働き)は
以下のように抽出される

これは広辞苑と小学館Random Houae(英)から調べてみた。

【協働】 協力して働くこと。
【協業】(co-operation) 一連の生産工程を多くの労働者が分担して協同的・組織的に働くこと。単純協業。→分業。――経営【協業経営】農業経営の全部門または一部の部門を複数農家が協同で行う経営。――組織【協業組織】農機具の共同利用などのように農業生産工程のうちの一部を複数農家が協同で行うこと。→協業経営・農業生産組織
(岩波書店 広辞苑 第三版)

みんなのために。英語の辞書で考えてみた。日本語で考えたら近代の思想は理解できない。英語で考えろといっているのは英語の辞書から原義を考えることだ。英語の辞書には西欧の哲学思想が息づいている。明治維新は古い日本との思想の決別であった。そこにはわが国の近代思想の発展の姿がある。そして、戦後の敗戦にアメリカの民主主義と自由、わが国産業資本主義の発展の中で21世紀を迎えた。
それは知識経済社会への幕開けであった。ぼくたちの知識と行動はグローバル化している。
今、知識が道具となっている者は歴史の発展に後れをとっていくだろう。確かにお茶を濁した直近のアイディアものづくりで小課題を解決できたとしてもきわめてローカルなものだ。国際商品になることはない。
ぼくたちは今や、世界へ発信しているのである。真のイノベーションは英語で考えろ。
社会の発展はきわめて保守的である。日本語の英語辞典が古い土壌へ「橋渡し」「世界へのかけ橋」なのである。
だから起業する者は英語を丁寧に日本語へ変換することである。直訳ではないぞ。
日本語は禅でもいいぞ。風土に定着していく。風土に定着して真の力(定着)になる。
電力不足で海外へ転出したいという。それもよかろう。そして、外の民族国家で根なし草になって白髪になって日本では生活の拠り所を失う。今、戦前の大陸浪人の時代ではない。雑草のようにその地に根づいていくことだ。


協業【co-operation】 1.協力,援助,協調性:(用例、用法)協力[協同]して,関係者一同の援助を得て,協力の意を示す2.【経済】協同組合:協業,生産(者)協同組合,生活協同組合,消費(者)協同組合
3.【社会】(共通の利益のための)協同4.【生態】協同(作用):一定地域に生活する生物の間の相互利益的な作業

■メディアミックス&ソフトノミックス/で世界各地の在住スタッフも本局にインターネットによるウェブオフィス(電子オフィス)に統合され、どこででも働くことができる。

【co-operative】1.力を合わせて行う,協同の:共同研究2.積極的に協力の意を示す,協力的な
3.(経済目的のために)協同する4.(学生の)様々な実地体験を含む;仕事を分担する,家事を分担させる(学生)寮
1.協同組合,新しい住宅協同組合,農業協同組合,大学生協,小売協同組合,消費者[生産者]協同組合

ことばの正しい使い方の参考にしてもらいたい。
コラボレーション【collaboration】1.共同,協力;共同制作[研究];(占領軍・敵国などへの)協力;(国家・組織間などでの)協調,提携:〜と協力[共同,提携]して/…協力を得て2.合作,共同制作作品

コラボレーター【collaborator】(芸術・学問分野での)協力者,共同者;共同制作[研究]者;(敵・敵国・占領軍などへの)協力者,反逆者

パートナーとは【partner】1.(1)(事を共にする)相手;仲間,相棒,同類 (2)(ダンス・食事などの)パートナー,相手 (3)(2人で組んで行うゲーム・競技の)パートナー,相棒,ペアを組む人
2.『法律』(1)パートナー,共同経営[事業]者,(出資)組合員,勤務[業務担当]社員 3.配偶者(夫または妻),連れ合い,生涯の伴侶 夫婦関係 4.『海事』パートナー:甲板を貫いたマストや,ポンプなどの穴の周囲の補強用骨組みまたは木枠
<人を>(…と)組ませる,仲間にする

パートナーシップとは【partnership】1提携,共同,協力,連合,協力[提携]する/提携[連合]を解消する.2【法律】(1)パートナーシップ,組合関係,共同事業者間の関係,(2)パートナー契約,組合契約.(3)共同経営[事業];組合;合名会社;商会,合資[合名]会社 (4)《集合的》組合員,社員

 甲板を貫いたマストや,ポンプなどの穴の周囲の補強用骨組みまたは木枠として、人間にしかできないことを考えよう。機械やロボットにさせよう。これが効果の意味・内容である。効率や能率ではない。この境目にはいろいろな人間らしい気づきや工夫が生まれるだろう。「効果」と「効率、能率」の違いである。機械による流れ作業には適用しない。

 みなさんは出来高制のシステムを正しく運用すればいろいろな気づきや工夫を生み出すだろう。自発的で、内在的な意識がみなさんが主人公として「機械を使いこなす意識」に変化していくだろう。

 佐藤も企業社会で育ってきた意識の「効率、能率」が内臓まで浸み込んでいる。正しくない考えだ。

 本局の毎日の労働時間は佐藤は夜の2時半起床、山形は遅くとも3時には起床し、山形は夕方の6時、7時頃には(仮)就寝する。1日15時間、16時間働いている。年中無休です。

「効率、能率」ではうつになる。しかし、各人が納期をもち自発的、内在的な命令も監督もない自己調整がはたらけば仕事はたのしい。そんなもんだ。眠くなれば寝ればいいし、もう少しと思えばたのしく働くこともできる。本局ではこうした自然を求めている。

 納期による1日6時間の強制はVDT作業では6時間が限界だろう。労働密度が高いからだ。業務中休憩を入れていると思う。しかし、出版業界において電子書籍の生産方法にイノベーションが起きた。PDFフォーマットによる電子書籍制作の方法である。PDFフォーマットのデジタルスキャナーによる電子書籍制作は美しい電子書籍の画面を制作するためスタッフの作業はスキャナーによる操作と仕上がりチェックが中心で、ここへこの業務の報酬を求めて挑戦していく人が何人いるだろうか。
 自己調整とは自分の考えで「頑張ることもできるし、休憩することも今までどおり自由だ」。知識労働者が少しでも所得の増大を目指していく。
 料金表が決定したので、みなさんの報酬料を決定しなければならない。すでに6台導入しているが9月、もう1台導入予定だ。機器が高いので、回収しつつ拡大しなければ、と考えております。新しい仲間も採用したい。
 ただ■■さんは1日40冊を仕上げたという。8時間労働なのでみなさんの兼務とは条件も状態も異なる。その日兼務がはずれて慣れてきたらできるようになるだろうか。子育てで8時間労働はきつい。機械のメンテナンス費用、消費税の納付、消費税の値上げなど想定をおびやかす事態も発生するだろう。みなさんその時はその時だよ。トランスクライバーは両耳が解放されるので、反対に解放感が大きいだろう。
 当面、この仕事で貯まったら拡大していく戦略をとります。みなさんの所得増大に向けて拡大路線を目指します。
 断裁機は子どもがいると危険なので、製本所で断裁していただき、絵画を引き立てる額縁のように断裁機できれいに断裁が行われて基本版面のテキストの美しさが引き立つ。テキスト(頁)の美しさを断裁が仕上がりの80%を決定づける。
 電子書籍1冊2000円前後で電子書籍がつくれます。「絶版本」対策も考えられる。

 料金表には検討事項として3つあるが、データ渡し(納品)形態にパッケージか、小社が利用しているジャストシステムのインターネットディスクを納品の窓口としてURLとパスワードをお知らせし、データが完成次第、順次窓口にアップロードし、ネットで納品していくか、検討しております。
 出版社で著作権処理をされた紙書籍のPDF電子化のみ対応し、法人対応で個人の要望には応えられません。出版社のご相談など承っております。年内は満杯です。

 トランスクライビィングもコンポージィングも校正も仕事が入って出ていく。蓄積しているのは知識や技能その他である。しかし、電子書籍制作は仕事が入って出ていくが、蓄積しているのはカネかもしれない。長期継続的な仕事にしていかねばならない。

 しかし、生産の方法は慣れると知識や技能でなくなる。出版業界にふさわしいプロになっていくには異質な仕事かもしれない。そういう意味で金儲けも加えるが、しっかりした生産意識がないと今の思いは夢と消えるよ。いつも真剣さがほしい。それが、つまり美しい仕上がりの知識と技能、しっかりと成し遂げるのが心構えとなるだろう。

 起業のスタートにあたって分散型共同企業群の概念へと構想された。
 コーポレーションとパートナーシップの間には営業それ自体の考え方の相違がある。法的相違もある。会社法の矛盾も存在する。したがって働く者に対応する考え方も異なる。

 人間の生命活動の交換と協働の現実的あり方(現実的様態)もまた生命活動一般の交換と協働に協働(パートーシップ)と協業(コーポレーション)の意識的相違が仕組みの相違として現実社会を混沌としていると同時に、ぼくたちは自らの生き方、働き方の仕組み(社内の法・ルールや制度)を生み出していかねばならない。多くの人は選択するがぼくたちは生み出していく。
 それはどういうことを言っているのか? 衣食住の衣に例をとる。
 本局は21世紀の文化的で先進の働く場を貧乏人らしく作ってきた。狭い居住空間であることだけがどうしようもない不満だが、6畳の空間が山形のワークプレイスである。
 もう少し説明すれば、談話・応接間はキッチンを区切り8畳程度の広さがあり、4畳半はロッカールーム(書庫)として使用している。事業のすべての資料が保管され、手狭だが必要なものは何でもある。貧乏会社のマイクロビジネスにふさわしい年商でもある。
 たとえばの例だが、衣に例をとると、SOHOのSOHO(スモールオフィス・ホームオフィス)らしい家庭着、代表者らしい作業着、会社の事業が「何の仕事をしているのだろう」、年齢や職業、お人柄が見えてくる、そうした洗練された賢い人柄を映すファッションをいろいろ専門店をのぞいてみても購入したいという衣服には恵まれていない。文化的に存在しないのだろう。
 作業服の既製品には何の関心もない。オフタイムの家庭着にも関心はない。選択ではなく生みの苦しみの最中だ。
 おそらく生活と労働が分裂する会社員の感覚では想像もつかない世界であろう。

 上記を例とした生命活動の生活と労働の融合という概念の広さと深さのある一面をスケッチしたにすぎない。通学する子供、通勤する夫、家庭にいる祖父や祖母の情景からも想像もつかない。
 つまり生活と労働の融合という風景は百人百色でもある。SOHOの家庭像は無定形である。でも、モダニズムがあるだろう。

 本局には松下幸之助先生の「道」という書、額縁がある。
 生活と労働が分離していないとドラッカー先生の自己のマネジメント、務め、責任、実践の意味が分かりやすい。自分の自分らしい人生が道なのである。自分の務めという「仕事」に本来なら感謝し、生かされて生きている自分をみつめ、家庭での父や母の務めなども含めて責任が家族も含めて周りの人たちの信頼をえて、生き様として実践していく姿を松下幸之助先生は人生、道だと言ったのだろう。
 生活と労働が分離していない姿はSOHOの生き方、働き方に現われる。

 みなさんに分かりやすく説明すれば、趣味を例にとろう。
 自分の好きな趣味と、生活と労働が一致していればアーティストやスポーツ選手のように、たとえば野球もサッカーも、どんな趣味でも「たのしい」だろう。
 最近、自己実現と「たのしい」が同義語で語られている。佐藤が考えている自己実現は夫婦の性の交換に見られるように、本来真に愛すべきものは自分の外にある。自分が自分になるように、交換するあなたがあなたになる。真に他とのコミュニケーションが自己実現の真の喜びなのである。生命活動の交換も真の意味はここにある。結婚の喜びを誰しも感じる。生活と労働の融合における夫婦(夫婦関係=パートナーシップ)も本来喜びの姿といっていい。多くの人も労働における夫婦の一致した喜び、生活の実現を経験したことだろう。
1994年頃まで、「自己実現」本来の意味・内容を人々は知らなかった。
 そして、道という人生の道をパートナーシップで共に歩んでいくだろう。妻がパートに出かける姿は佐藤の理解の外にある。夫婦が共同してSOHOで起業し、最初は二つの事業の柱を持つことは佐藤の理解の範囲内だ。でも、ここでは夫婦の価値観が一致していることを前提としている。おもしろいもので仕事の原理・原則・基礎・基本、ルール・手順・順序が異なると最悪の非劇だ。カネに起因する営業政策の対立など人生観、考え方、生き方等の対立である。パートナーの理解と成功の事例を積み重ねていくことだ。

ある一面で佐藤がかつて「開かれた家庭」という言葉を使ったら「?」をしてきたスタッフがいた。でも、一般的でないかもしれないが、書生さんが2、3人いる「家庭」であったら、いま流行りの「想定内」(想定外ではないぞ!)ということだろう。近代、現代って何なのだろう? 生活と労働の融合がもたらす地平の「文化」はたのしい。人間的で文化的生き方ができる。

女性にはこれだけ働けば報酬はこれだけでいいという考え方が根底にあると思います。働くことが嫌なのです。人間の証明ができないのです。これも豊かさのマイナス側面といえるでしょう。報酬を高くし、所得が容易に取れると考えると、これ以上いらなく働かないほうがいいと考えるのが現代人といえるのは残念な側面です。
本来、本局では自由と考えている。自由にその人に合った労働時間を尊重している。子育てに理解をもちたい。またここからスタッフが組織化された歴史をもつ。
創業以来、本局ではスタッフに「命令、業務命令」ということばをもたない。
これまでもこれからも命令ということばはない。スタッフの労働時間の標準は「1日6時間制」である。しかし、出来高制になっているので多くのスタッフは仕事を積んでいる。VDT作業への配慮である。
どうして本局はこの課題を解決すべきか? 創業以来、スタッフを増強することによってこの課題を解決してきた。一般企業にとって子育ては「社会問題」だが、ぼくたちは自力で解決してきた。ぼくたちは「社内」を見て考えることはしない。「分散しているスタッフ(仕事)」を見ていろいろ考える。
それでこの課題解決のためには松下幸之助先生やP.F.ドラッカー先生の自己のマネジメントを取り上げた。自己の生命活動にひとつの信念があるなら、それは「自分の務めと責任と実践」をとおして子育てや仕事にどう向き合うか? その生き方への力を求めた。真にスタッフの力を統合するには「理念」が必要だ。経営理念へと収斂させた。

 これは本来の人間の生命活動――日本語で人間力といっていいか、生き方といっていいか、でも個々人の能力によって、能力というのはその人本来の力といっていいのですが、ここに正しく労働という生産活動、経済活動が男女労働に備わっている能力だと思うのですが、時代の価値観がこうした本来の考え方が阻害されていると思うのです。
 言っておくが、企業統治を「技術的」と考えてはいけない。「魂」があることだ。

【合理】道理にかなっていること。――か【合理化】(rationalization)1むだを省き、能率的に目的が達成されるようにすること。2もっともらしく理由づけること。3〔心〕自分の考えや行動を無意識的に正当化すること。防衛機制の一。4.労働生産力をできるだけ増進させるため、新しい技術を採用したり企業組織を改変すること。実質的には超過利潤獲得の一手段となる。――か・カルテル【合理化―】産業の生産体制を合理化するために、独占禁止法で特別に認められる企業間協定。→不況カルテル。――主義【合理主義】(rationalism)1一般に理性を重んじ、生活のあらゆる面で合理性を貫こうとする態度。2〔哲〕理性論に同じ。――せい【合理性】1道理にかなっていること。論理の法則にかなっていること。2行為にむだがなく計算され能率的に行われること。3事態が理想的な目的に適合していること。――【合理的】1合理性または合目的性にかなっているさま。2合理主義に適合するさま。――ろん【合理論】〔哲〕理性論に同じ。
(広辞苑)
演劇やドラマの計算された演出には創造性があるが、いったいこの思想はなんなのか。芸術から学ぶ。

合理主義
【原義】ラテン語のratioに由来し、理性・道理・分別などに基づいた思考方法を意味する。Rationalism(合理主義)という形で使われはじめたのは比較的遅く19世紀である。哲学用語では理性論と訳すが、広義のヨーロッパ人に共通した思考生活パターンとしては合理主義と訳す。
【解説】ヨーロッパ人の精神構造を形成する最大要素たる聖書の冒頭においてすでに、彼らは神との<契約>を<言葉>で交わしていた。つまりそこには<行間を読む>とか、<言葉の裏の意味を探る>とかの要素の入り込む余地はまったく存在しない。信頼すべき第一のものは理性(レゾン)であり、良識(ボンサンス)である。それは生活・論理・思想・哲学の細部に至るまで徹底していて、けっして感情や情緒と混じり合うことがない。言葉が必ず相手に通じるという共通の基盤があるため、いかなる些細なことにも論争が成り立ち、そういう場からは感情・涙・叫びなどというすべての不合理性は排除される。日常生活から哲学まで、ヨーロッパ人を律する思想全体の基本が合理主義である。
【文献】会田雄次『合理主義』(講談社文庫)
及川 茂[おいかわ・しげる 埼玉大学助教授]
(三訂増補版『文芸用語の基礎知識』編集/長谷川泉・高橋新太郎 国文学解釈と観賞5月臨時増刊号 昭和57年5月4日発行)

【rationalism】1理性[合理]主義:理性を見解,信念,行動などの最高原理とする主義,生き方.2【哲学】合理主義[論],理性論,主理論,唯理論.(1)理性のみが知識の根源であり,それは経験とは独立しているとする学説.(2)(デカルト,スピノザなどの哲学で)すべて確実な知識は,生得的で明証的な原理に由来するもので,それらの必然的帰結であると説く説.3【神学】唯理主義,理性主義:天啓によらず,理性によってのみ真実の信仰に到達できるという説.4【建築】(しばしばR-)ラショナリズム,合理主義:19世紀中ごろの建築デザインで,新材料とその装飾を合理的に調和させようとする主義・運動.

【rationalize,(特に英)-ise】1<自分の行為・意見などを>(都合のよい理屈付けをして)合理[正当]化する.2…を合理化する,道理にかなわせる.3…を合理的に説明[処理]する.4(主に英)<産業・会社・組織を>合理化する.5【数学】…を有理化する;(方程式から)根基を除く.−v.i.1(無理に,こじつけて)行為[意見など]を合理化する,言動を正当化する.2推理[推論]する,理性[合理]的に考える.


 この世が古代から人間の共同体とともに人々は生きてきた。歴史を捨象し、人間個人の宗教に、社会と歴史を排除した哲学なんて存在しない。及川 茂先生は無理なこじつけをしている。本来、19世紀少し前に思潮として登場してきたヨーロッパの歴史は産業資本主義の段階であった。19世紀のブルジァジーは天下のペテン師である。NHKの「坂の上の雲」で時代考証をしていると思うが、契約書のサインによって奴隷に売られた明治の時代、「もっともらしく自分の考えを理由づけ」するのも合理主義の特徴である。ペテン師の中にも「理性」と呼ばれるものがあったかもしれない。しかし、性悪説の理性とはなんなのか?


『声の文化と文字の文化』W・J・オング 桜井直文、林 正寛、糠谷啓介 訳 
藤原書店 1991年10月31日発行

(ホームページ 「トランスクライバーの歴史」から抜粋)
 オング先生によれば、下記の記述となっている。
 たとえば町内会の信頼される人の口頭で言うことと、外から来た素姓のわからない人が契約書を持って来たとする。今ではテレビのCMで連呼しているが、インターネットで購入することも若い世代に抵抗はなくなったが、合理的に契約すべきであるかどうかは、今でも疑問のあるところだ。
 気をつけなければならないのは、都合のよい理由づけをする奴らである。

オング先生はいう。
クランチーによれば、かれが研究した時代においては、「文書documentは、それ自体としては、信頼をよぶものではなかった」。書くことにともなうすべての出費と手間とを十分に確保するためには、以前からの口頭によるやりかたよりも、書くことはよいことなのだということを、人びとに説得しなければならなかったのである。ヨーロッパと日本の文化的相違である。文書が用いられるまえに、たとえば、封地相続人の年齢を確定するために、一般に用いられたやりかたは、多数の人間の口頭での証言だった。1127年、サンドウィッチ港の入港税がカンタベリーの聖アウグスティヌス修道院のものか、クライスト・チャーチのものかという紛争を解決するために、ドーヴァーの者12名とサンドウィッチの者12名からなる陪審団が選ばれた。かれらは「よい証言ができ、年齢を重ねた知恵のある長老たち」だったし、「わしも若いときから見聞きしてきた」。税はクライスト・チャーチのものだ、とかれらは、かれら以前の人間が覚えていたことを、公の場で思いおこしたのである。
〔当事者の〕証言のほうが、当初は、テクストよりもいっそう信用のおけるものだった。なぜなら、そうした証言に対しては、問いただすことができるし、本人に反論させることもできるのに、テクストに対してはそんなことはできないからである(すでに見たように、これがまさに、書かれたものに対するプラトンの反論の一つだった)。文書を〔本物であると〕証明する公証人の手続きは、〔事実の〕証明の手続きを、書かれたテクストのなかでやりとげようとするものだが、この公証人方式は、文字にもとづく文化のなかでも遅れて発達し、イギリスではイタリアよりもかなり遅れて発達した。書かれた文書それ自身も、それが本物かどうかは、書かれたものによってではなく、なんらかの象徴的なもの(たとえば、羊皮紙のひもで文書にしばりつけられたナイフのようなもの)によってしばしば証明された。実際、象徴的なものだけが、所有権を移譲する証拠となりえたのである。たとえば、1130年ごろ、トマス・ド・ミュシャンは、ヒザースローの地所をダーハムの修道院に譲渡したが、かれの剣を祭壇に捧げることによってそうしたのである。ドゥームズデー・ブック(1085-6)〔ウィリアム一世による土地台帳〕とともに、それをきっかにして書かれた文書の量も増大していくが、それ以後も、かつての声の文化に根ざした精神の状態がどんなに根強く残っていたかということは、つぎのウァレンヌ伯の逸話からもわかる。エドワード一世(治世1272-1307)のもとでの権限開示訴訟〔王の前である権限の根拠を示すことを求める訴訟〕において、ウァレンヌ伯は、裁判官の前に、証書charterではなく、「古ぼけた錆だらけの剣」を持ち出し、こう抗議したという。自分の祖先はウィリアム征服王につきしたがい、この剣によってイングランドを手に入れたのだから、自分はみずからの土地をこの剣によって守る、と。クランチーは、この逸話にはつじつまの合わないところがあり、いくらかまゆつばであるとしながらも、この話がながく語りつがれてきたことは、象徴的な贈物がもつ証拠としての価値に疑いをもたなかったかつての精神の状態を証するものだと述べている。
 イギリスの書記の土地譲渡証書にはもともと日付がなかった。これには、おそらくさまざまな理由があるだろう。クランチーによれば、もっとも深い理由はおそらく、「日付をつけるには、書記職人が、時間のなかでの自分の位置をどう示すかというかれの立場を表明する必要があったから」である。つまり、ある一つの準拠点を選ぶ必要があった。では、どんな準拠点を選べばいいのか。世界創造の日を準拠点にしてこの文書を位置づけるのか。それとも、キリストの十字架の日か。あるいは、キリスト生誕の日か。ローマ法王は、この最後のやりかたで、つまり、キリスト生誕からかぞえて文書に日付をつけた。けれども、法王がするのと同じやりかたで、世俗文書に日付をつけるのは、恐れおおいことではなかろうか。今日の高度技術文化においては、何百万もの印刷されたカレンダーや、かけ時計や、腕時計がわれわれに押しつける抽象的に計算される時間の枠のなかで、だれもが日々をおくっている。だが、12世紀のイギリスには、かけ時計も、腕時計も、壁かけカレンダーも、卓上カレンダーもなかったのである。
 印刷物によって、書くことが人びとのこころに深く内面化されるまでは、人びとは、自分たちの生活の一瞬一瞬が、なんであれ抽象的に計算される時間のようなもののなかに位置づけられているとは思ってもいなかった。中世、さらにはルネサンス期になってもまだ、西欧の人びとの大部分は、キリスト生誕から数えるにしろ、別の時点から数えるにしろ、いまが暦のうえで何年にあたるかといったことを日常生活のなかで意識していたとはとても思えない。どうして意識する必要があっただろう。どの時点から計算すべきかもはっきりしていなかったということは、つまりは、そうした問題がささいなことだったということである。どんな新聞もなく、〔製造年月日などの〕日付のついたその他の物資もなく、そうしたものが人びとの意識に影響をおよぼすこともまったくない文化のなかでは、大部分の人びとにとって、いまが暦のうえで何年にあたるかといったことを知ることにどんな意味があるだろうか。抽象的な暦のうえでの年数など、現実の生活にはなんのかかわりもない。自分が暦のうえで何年に生まれたのかといったことを大部分の人びとは知らなかったし、知ろうともしなかったのである。


トラブル原因に効果をもたらす結果とは

【effect】1.(原因に対する)結果;影響.2(…に対する)効果,効能,効力,(治療・薬の)効きめ,有効,影響(力),作用.3(法律・規制などの)発効,実施;遂行,達成.4.(…に与える)(色・形・話し方などの)効果,感銘,印象.建物の全体的印象,素晴らしい感銘を与える絵,

効果【effect】1結果.2ある勢力の奏する結果,或る効果を奏する勢力,効果,効力,効能,効験,實効,“キキメ”【機】働.3勢力又は効力あること,効力又は實効を生ずること.有効.4(a)人心に或る感響を及ぼすこと,又は影響を受けること,効果,見バエ,見エ.(b)趣,趣到,風到.5趣旨,趣意,意義,意味.6事實,實際.7品物,動産,財産,身代
【effective】1有効なる,實効ある,効験ある,効果を奏する,役に立つ.2實力ある,有力なる.3人心を感動する,人の耳目を聳動する,目に立つ,ステキなる.4事實上の,實際の.


広辞苑から
【効果】1よい結果。ききめ。「治療の――があがる」2演劇などで、その場にふさわしい状況を人為的に作ること。→音響効果
【効果的】効果のあるさま
【効果の法則】〔心〕試行錯誤によって学習を行う場合、満足のゆくような結果をもたらす動作の生起が強められ、他の動作の出現が弱められるとする法則。


【効果】1効き目。よい結果。「訓練の――が現われる」「――覿面(てきめん)」2音楽・擬音・照明などを用いて、その場にふさわしい雰囲気をつくり出すこと。「音響――」「――音」(明鏡国語辞典)


【音響効果】1演劇・映画・放送などで、擬音などを使って演出効果を高めること。また、その装置。2演奏会場・劇場などの、構造や材質によって異なる音の響き方の具合。


 トラブル原因に効果をもたらす「結果」とは、その人の、その人間の血や肉に還元されることばだ。efficacy は他の人から、仕組みから与えられる能率、効率という意味が内在していて、反感を持ち反発するかもしれない。機械文明の産業資本主義時代に誕生したことばかもしれない。
 現代英語大辞典の欠陥はことば本来の意味を失って、英語のその時代の新しいことばの意味・内容が生まれたのだろう。
 効果の本来の意味、内容ということばの「働き」(ことばの用法)から日本語の語源を学ぶようにことばの本質を学ぶには、第二次世界大戦以前のわが国で発行された英語英和大辞典から学んだほうが近い。戦後ことば本来の意味が改纂されている。

 人間の「人心」のあり様に対する結果と理解してほしい。それはある効果を結果とする人心の「変化」ともいえるだろう。効果という目的に向かって、人間的な有効上にある一点を目指した結果、人心にある影響を及ぼすこと、あるいは影響を受けることによって極言すれば人心を感動させる、目立ち、すてきなるもので事実上、実際上の実効ある効果をもたらす人間の行為といっていい。スタッフの定着率も高くなる。
 みなさんは合理主義で人間をモノのように動かし、操ることを拒否せねばならない。
 みなさんは工場やビジネスで無批判的に能率や効率を受け入れてきた。文明や文化に対する「効果」の今では遠い彼方をみつめて自己精神の思想をつくらねばならない。それぐらい現代日本人は毒されている。自分の成長はここから始まる。生き方も働き方もここから出発する。
「効果」は人や人のこころに喜びを与える。概念的にはパートナーシップの太い骨組みがあって、この「効果」のことばの働きを豊かにしていかねばならない。
 夫婦においても、企業組織の、メディアミックス&ソフトノミックス/はバーチャルな組織だが、過渡的に有効上にあるものとして現下において「職場」の風景を感動させるには、走り続けていくために目の前に「にんじん」が必要だ。現代の労働文化の現実的様態なのである。
 能率、効率の合理主義がもたらした悪弊は合理主義と「合理化」「リストラ」ということばの介在をもって人間を「使い捨て」にしてきた。能率、効率は使い捨ての原因になる。ぼくたちにも悲しい現実がある。適材適所は自分の務め、責任が伴うが、実力とか、能力とか、ことば本来の人間を表現する時に使用することばを使う時もある。

 小学校、中学校、高校とクラスの6割は、そのクラスの本質で、2割は普通で、2割は優秀かもしれない。現実社会においても同様の傾向が見られる。未来を危惧するが知識経済社会のすそ野を広大にして、本局だけではできない政府による産業構造の転換が必要だろう。高校授業料無償化は当面恒久の制度としていく社会的要請がある。
 人間の生命活動の交換と協働は衣食住の、第三次産業も含めてもっともっと豊かにしていかねばならない。少子高齢化社会の課題解決は20年、30年、40年と時間がかかるだろう。

 ぼくたちは能率、効率よりも「効果」が現下の「企業内教育」ばかりでなく、「家庭内教育」においても素直な人づくりにつながる。大量生産から多品種少量生産が知識経済社会で国内において復権するだろう。大量生産が能率、効率を求める合理主義の思想に満ちてきたが、「効果」とは本来、人心に喜びをもたらす人間復権の方法といってもいいだろう。
 佐藤にも能率、効率が内臓まで浸み込んでいる。広辞苑は用法として「治療の効果があがる」とことばの働きを記述している。はたして「効果」は本来、こんな働きが用法としてことばにあったのか。佐藤が広辞苑第四版が発売されると聞いて、発売直前に「第三版」を購入した。第三版の「出来」である。
 ことばの意味、内容において「治療の効果」、「訓練の効果が現われる」とか、日本語による表現はおかしいのではないか? と思う。合理主義を説明して巧妙に文中に隠れている。読者を誘導し誤解を招くことばの使い方だ。知が細分化し国語学者としては日本語の表面の意味、内容しか説明できない例文だ。ことばの本質が変容している。現実社会の複雑さは日本語「国語学」の危機を見る。生産現場で生まれる能率や効率は今や国語学者に現代日本語の本質を説明できないのかもしれない。残念なことだ。
 外国語の文例に学び、日本語として定着してはじめてことばに力を与える。どのようなコンテキストとして意味を与えるか。日本語としてことばの本質に力を与えて仕事は完成する。

 企業社会では憂鬱な業務のトラブル続きが連日のように起こっているとする。トラブルの解決が課長職の仕事になっている企業もあるだろう。専門職化していない企業に多いと思う。
9月2日の朝の日本経済新聞の朝刊広告に、講談社から見城 徹氏と藤田 晋氏著『憂鬱でなければ、仕事じゃない』14万部突破の広告がありました。

 どんな書籍なのか読みたいと思いますが、気持ちも内容も想像できる。

 佐藤は自ら概念化してみた。原因があるから結果がある。
 やはり仕事には順序がある。トラブルには原因がある。原因があるから結果が出る。
 今の人は1960年代の西欧先進国の労働者に似ている。3K労働は移民に、暇をもてあます販売員の街のサービス業は先進国において自国市民の人気ある仕事であった。3K労働を嫌った。働かないでお金が欲しい。
 毎日がトラブル続きで憂鬱だ。
 憂鬱という観念は原因がわからない。憂鬱という言葉はわかる。しかし、原因があり、結果がある「概念」化作業ができないのではないか、内容はよく知っている。しかし、分析できない。ただひとつ、仕事とは逐次的に、今日においては逐次的プロセッシング、セクエンシャル プロセッシングで仕事をしよう。片っぱしから片づけていこう。

 単純明快な仕事ぶりである。トラブル続きで憂鬱感を持たない。憂鬱でなければ仕事ではないとは言わない。仕事とは流れ作業ではなく、専門職化しなければならない。知識の創造もまたここから真に生まれる。

セクエンシャル sequential processing、ワードプロセッシングのプロセッシングで、逐次的プロセッシング、逐次的処理、というか、続いて起こる、続いてくる、引き続きの、連続的、結果として来る、結果たる、反復進行的、

 セクエンス sequence 前より続いて後より来る、連続
 因果律とは不変の結果が出てくるという法則にすぎない。
 畢竟(ひっきょう;つまるところ、つまり、要するに、結局)原因があればこれに連続して必ず結果が出てくるという法則にすぎないのだ。
 順序、次序、次第、順次に
 連続事項

 効果とは外から与えられるものではなく、出来高制であるので自分のための自発的で内在的なものである。個々人が独立していることである。組織自体が独立しているのか? 真に個々人から成り立つ組織でなければならないだろう。パートナーシップがマイクロビジネスとして有効上にある効果を描くことができる。真に万世一系の組織たりうる。

日本経済新聞 平成23年8月23日

若手社員7割弱
「仕事が厳しい」
民間が意識調査

 人材採用支援サービスのレジェンダ・コーポレーション(東京・新宿)が入社1〜2年目の若手社員を対象に実施した意識調査によると、回答者の7割弱が「仕事が厳しいと感じる」と回答したのが分かった。入社1年目より2年目の方がより「厳しさ」を感じる傾向も判明。レジェンダでは「新人研修中の1年目と比べ2年目の社員への育成支援が手薄になりやすい」と指摘している。

「仕事が厳しいと感じる」と回答したのは全体の65.1%。入社1年目だけでみると63.6%なのに対し、2年目は67.4%に高まっている。調査は7月上旬に実施し約700人が回答した。


人間的な生き方、働き方本来のあり方を失っている。
 ぼくたち本局公認「1日6時間労働制」の出来高制である。ワーク・ライフバランスで地域社会への参加、PTAなど家庭の行事、保育園や幼稚園への子どもの送り迎え、父や母、祖父祖母の介護、親戚の訪問、等々、たのしい家庭生活が守られている。
 総合失調症が広がっている。夫がうつになってしまうとか、家庭生活の危機になる。
 報酬額に目がくらみ、わたしにもできると思いがちなキーボーディングスピードと能力が伴えば1日8時間働いてもいいが、「残業」はしないほうがいい。納期の時刻があるので無理強いする時もある。
 入稿が混み合ってくると能力・実力ある人に仕事が集まる。本局では「故障」のないようスタッフを増強してきた。一般企業とは「社内実態」が異なるので単純に比較はできない。自分の思うように働くことができる。スタッフの増強が「当たり前で、相変わらず」の社風を守ってきた。身体の健康とこころの相変わらず(平和)が、守られること――これも会社理念である。最高の会社理念だ。
 ただ困ったことに学校行事が全国画一的である。これは社会悪だ。
 また、もちろん「入社」して子育てが一段落し、長期間働いてくると、親の介護の番になる。平均4、5年だといわれているが、みんなで仕事を守っていくのもスタッフの増強はこのシステムの生命線だ。
 卒業して入社して結婚して、と考えると独身時代は外へ出て就職の方がいろいろな愛のチャンスもあるだろう。結婚後は子どもが生まれ、社会参加していくにはぼくたちのシステムに無理なことはない。みんな家族を大切にしている。もちろん働く場も大切なのである。どちらが先とはいえない。会社が元気で、働く者も健康で元気なのがいい。

日本経済新聞 平成23年7月20日


市場分析
学習塾『単価』アップ
今年度生徒1人当たり
新指導要領追い風 少人数に力

 市進ホールディングス、早稲田アカデミーなど大手学習塾は、2011年度の生徒1人当たり売上高が増加に転じそうだ。新指導要領の導入に伴い、生徒が多くの授業を受ける傾向にあることが追い風となる。東日本大震災後の広告自粛で生徒獲得は遅れ気味だが、「単価」アップが業績を支える。
 大人数の授業が主体の市進HDは、傘下の個学舎を通じて個別授業にも力を入れている。「個別」は教師1人に生徒1〜2人というきめ細かい授業が特徴で、09年2月期は1人当たり50万円強だった。景気低迷による家計の教育費抑制が響き、11年2月期には30万円を割ったが、今期は35万円程度に回復する見込みだ。
 復調の一因は学習量が増えた新指導要領が今年度から小学校で導入されたこと。受験を控えた小学校高学年や中学3年生などが受ける授業を週1コマ増やした場合、「生徒1人当たりの売り上げが2割上がる」(市進HD)という。個別授業の売上高は全体の2割だが、利益寄与は大きい。
 早稲アカは12年3月期に新ブランドの「早稲田アカデミー個別進学館」を新たに2校開設する。個別進学館の売上高営業利益率は約15%になる見込みで、早稲アカ単独の3%(前期実績)を大きく上回る。大人数授業でも理科や社会、日曜コースの受講増を促し、今期の生徒1人当たり売上高(予備校除く)は約1万8千円増の60万円強となりそうだ。
 学習塾最大手の栄光も個別指導の拡充を進める。今期は英会話を除く教育事業で、生徒1人当たり年43万円強の売り上げになるもよう。前期比で約5千円の単価アップとなる。個別型が主力の明光ネットワークジャパンやリソー教育も単価上昇が続く。
 矢野経済研究所の推計によると、10年度の学習塾・予備校の市場規模は約9300億円。このうち個別指導は3870億円と4割強を占める。
 少子化が進むなか、学習塾の収益環境は予断を許さない。「個別」重視の戦略が勝ち残りのカギとなりそうだ。

主な学習塾の生徒1人当たり売上高

09年度

10年度

11年度(予)

▼大人数授業が主力

早稲田アカデミー

60.3

58.9

60.7

市進ホールディングス

56.3

52.6

56.5

34.3

29.7

35

栄  光

44.2

42.5

43.1

▼個別指導が主力

リソー教育

93.4

93.6

93.8

明光ネットワークジャパン

43.6

44.9

45

東京個別指導学院

60.6

60.3

57.7


(注)単位万円。一部、日本経済新聞の予想。早稲田アカデミーは予備校除く。市進ホールディングスは上段が大人数、下段が個別。栄光は英会話除く。明光ネットワークジャパンは直営部門。リソー教育は学習塾部門。生徒数は期中平均


メディアミックス&ソフトノミックス/で働く高学歴女性の多くは子どもの毎月の教育費のためである。小学4年生までは時々、お母さんとして子どもに学習を見てあげて元気に遊ぶことも大切だろう。しかし、小学5年生になると塾通いが始まる。習い事も含めて月10万円前後と聞く。高校生になると予備校へ通う。年間授業料は100万円を超える。
 教育投資に比例して応えてくれる子どももいれば、応えてくれない子どももいる。
 子どもの友達をよく見て注意していかねばならない。
 高学歴な知識労働者の夫婦の普通の家庭では30代で夫の年収が500万円台から700万円台のバラツキがあったとしても、一日「6時間労働制」の妻の働きで夫婦二人で年収1000万円弱近くなる。
 子ども2人の4人家族がメディアミックス&ソフトノミックス/のスタッフの家庭の標準の所得としよう。
 ぼくたちは出来高制で仕事をしているが、毎月の「子どもの習い事と学習塾」への支払いが出来高制を安定させる。個人差はあるが高校、大学生になるにしたがって教育費も高止まりし、子供の成長は教育投資に比例してくると実感する。
 ぼくたちのスタッフにこれから「子ども手当」を「支給」されるスタッフは何人いるだろう。
 自民党と公明党の政策は低所得政策で働く者を封じ込める。こうして戦後、格差社会を画策してきた。豊かな日本を建設することではなく、貧しい日本を画策する。パートタイマーとしてスーパーのレジに立つことを画策する。
 わが国が沈没していく。
 子どもの教育投資に比例して力強い国家がつくられる。子供たちが成長して社会へ参加していく頃には知識経済社会が眼前に迫ってくるだろう。

 人間の生命活動の交換と協働の原型は時代の経済的発展段階という迷信がグローバル化するとはいえ、原型の基本要素に変化はないだろう。ぼくたちは国家が経済的に破綻しても大きく山河に変化はなく、そこで人々の生の営みが続くだろう。この営みこそ人間の生命活動の交換と協働なのである。
 

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