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取材を上手に録音するには

「いま少し頭を整理したい。形にしていきたい。それは、形式を立てることである」


 やはりいまの段階でプログラムすることはむずかしい。
単純に人間による校正の手作業が必要だ。手作業を進めていくうえでの知識一般の流れを知っておくということである。
インターネットからOCRについてのアーキテクチャー(設計思想)を概観するためにコピペする。
当面、日本語表記としての美しい日本語を求めていく視点からOCRによる読め込めない技術的誤変換としての「ことば」をソフトウェアではその「ことば」に四角いマスとしてのイメージとして影をつけていく手法を描いてもよい。そこまで手作業の効率性をこの理論的デザインは目標とする。OCRを使ったデジタルテキスト再生原稿の編集工程の入口として「原稿整理」に革新(イノベーション)をもたらすものとして理論構築を目指すものだ。
だが、このプログラムは「任せて、任さず」が基本である。プログラムの限界とは複雑な象形文字の本質による。美しい日本語へと校閲されねばならない。機器(プログラム)が人間のリズム、メロディーという美しさを理解できない。詩は描写だけのものなのだろうか? 知覚的認識においては意味だ、とドラッカー先生は言っている。芸術としての「無限」への希求だけが音楽、リズム、メロディーを感覚するL.トロツキーが「文学と革命」の中で気にしていたのは何だったのか? 感覚と知のあり方は一致しているものだ。だからファッションにおいても知の知覚的認識だ、と思う。心得の第一条である。そのとおり! 道具とは人間がつくるために使いこなす。ピアノを奏でるのはピアニストだ。
日本語の音声認識装置はピアノの音色も出てこない。音楽という美しい日本語にはならない。トランスクライバーさんにも言うが、人間機械、人間ロボットになるな! ロボットがつくるトランスクリプション(データ)では競争に負ける。一流のスタッフ(コンポジショニスト、トランスクライバー、校正者)による一流の原稿が一流の書籍や記事の執筆に結びつく。立派な書籍になる。
わが国企業の考え方と異なる。ものとコンテンツの違いである。本来人間の精神に金儲けの考えは不純だ。
各コンポジョニストの知の発信をこの共通の目標に向けて知を集約して共有していくことを目的とする。





『ディクテーティング研究』第5号を出したのは平成6年(1994年)であった。富士通オアシスでのワードプロセッシングの時代でぼくたちはここから出発した。
 5号は「(対談)編集者と響き合え! もっと輝けワープロタイピスト」は佐藤と山形の対談であった。1988年ワードプロセッサーが電子製品として発売されようとしていた。ワードプロセッサーにはパソコン通信機能もあって、またニフティは最大200字まで文書を送ることができた。平成に入って、出版社ではオアシスが主流で業務用のワープロ機器しかなかった。
 この時代の業務用ワープロ機器は1台150万円から200万円を超えていた。
 本局では平成3年になろうとしていた時か、業務用ワープロ機器の中古品を、オアシス100Hを90万円で購入、ドットプリンターを一緒に購入、90万円を超えたと思う。
 この時代、東京大手町に文書作成事務所があったようで、事務員は最新機器を扱う最新の女子事務員でワープロ操作の技能を持つエリート風の女子事務員だった。
 
山形も当時、ワープロ講習が各地にできて、広告に乗っかって町田駅近くの講習所へ行ったのは、山形が30歳前後だったと記憶している。当時は花形のワープロ講習だった。
業務用のワープロ機器で操作を学ぶことであった。当時は業務用ワープロ機器しか発売していなく、とても高くて購入できなかった。佐藤はサラリーマンだった。
結果は、このワープロ講習所は詐欺会社で夜逃げした。花形の仕事ができた。


メディアミックス&ソフトノミックス/が設立されたのは1988年、ぼちぼちパーソナルワープロが発売されてきた時代で、1台22万円〜23万円であった。
応募者もまだパーソナルワープロを持っている人は少なかった。5台ぐらいは新品を購入してスタッフになってもらった。
みんな操作は初めての人もいたし、けしてキーボーディングは速くなかった。
メディアミックス&ソフトノミックス/は設立時24、5名の校正者を採用し、校正からスタートした。この時代の20代半ばの校正者がM.Hさんである。M.Hさんが一番古いスタッフだ。

 1997、98年頃になると、ウィンドウズ95との並存時代を迎えた。1997年■■■エディターズ・グループ様より一太郎導入について話し合い、コンピュータへの移行が本格化しました。
 2年後の2001年12月『OCRスキャニングワークの進め方』デジタルテキスト再生原稿のつくり方を出し、原稿整理と校正、この校正はデジタル校正の端緒だった。この間、メディアミックス&ソフトノミックス/は編集者の一部原稿整理に対するコンピュータの導入ソリューション(問題解決)に参入した。
 つまり編集工程である原稿整理のデジタル化であった。デジタルの特有な作成過程、書籍やどのようなトランスクリプション(データ)からトランスレーション(たんぱく質・プログラム)されていくか、その橋渡しのソリューション(問題解決)であった。
 プログラムされていないもの、つまりトランスクリプション(データ)をデジタル化したデータに転換するBI(ビジネスインテリジェンス)であった。
 これは出版社の系列化というよりも、出版業界全体が顧客であるという立場である。
 メディアミックス&ソフトノミックス/の応募者は入力するのが仕事だと単純に考えている。われわれもワープロタイピストとして出発し、デジタルテキストタイピストとして自らを規定したときがあった。当時は「手書き原稿」のデジタル化が主業務で原稿の編集??直し・修正が容易であることであった。いまコンポジショニストとしている。つまり、コンポジション(組版)へと業務は発展してきた。コンピュータは電子組版の可能性をもっていた。
一部、 日経印刷においてはウィンドウズで電子組版されている。
多くの出版社はマックが主流である。
ぼくたちは市場への参入の拡大、その内在的発展を目指し、条件としてSOHO在宅ワーカーのあり方を模索してきた。
応募者には理解できるだけの情報や力もあったかといえば、「入力する仕事なんでしょ」と思い込まれているのは今日でも不思議に同じである。当初、作家の原稿を「編集し」「校正」する旧来からの編集のあり方であった。「創作出版」が取材(データ)から始まり、成文にして校正していくのに対し、応募者の一般的認識と出版過程として理解できなかったと思う。

校正者になっていく道であると言ってきた。何人かは校正者になったが、デジタル校正がもしインターネットが媒体となる時代になって、デジタル校正が脚光を浴びるようになった。
しかしまだ、佐藤にはこのビジネスインテリジェンス(BI)が佐藤の弁証法によるソリューション(問題解決)という事業までは拡大していない。弁証法によるマニュアルの再構成が必要のところまではいっていない。それは編集工程が原稿整理として独立していることも理由である。在宅ワークでできる。また、できなければならない。そういう立場にいる。
独立していれば納期を守ればどこででもできる。これは必要な条件なのである。
ぼくたちのビジネスインテリジェンスと今回のセミナーとの比較と、セミナーにおいてどのようなデジタル校正を位置づけているか、出版に対するデジタル校正のあり方であるが、コンポジショニストがもっているOCR転換のバケ文字についてのノウハウ(知識と技術)はダントツであると考えている。デジタル校正に強いということは、つき合わせ校正に強いという人材を育ててきたし、みなさんはデジタル校正に携わってきて、みなさんの持っている知識が今回のセミナーでは、「出版におけるデジタル校正」の波が押し寄せているその出版業界における位置づけのセミナーなのか、細かな校正の中身である校正技術のあり方がレクチャーされるのか、もう一度、メディアミックス&ソフトノミックス/のマニュアルとテキストを概観し、細かな知識を大きなデジタル校正のあり方の中で、問題意識をもって参加されるよう望みます。

 まずこの課題を必要とする背景は、どのようにメディアミックス&ソフトノミックス/がワードプロセッサーの登場、そしてコンピュータウィンドウズ95の登場の過程でこの事業に参入したのは、出版社における原稿整理のあり方??それはディクテーティング研究第5号を端緒に原稿整理をワードプロセッサーで効率よくおこなうための模索であったと思う。編集者は原稿整理を電子テキスト化し、ワードプロセッサーの文書形式を変型ではあるが、1頁の基本版面を1行の文字数と行数を設定し、そうして電子テキストとして組むことによって原稿整理のあり方をワードプロセッサーの画面上で見ることができ、またワードプロセッサーならではの電子文字の直し・修正を容易にすることができることが原稿整理の効率化に結びついた。これまでは印刷所で植字の手作業によって再印刷し、直し・修正をおこなってきた。ゲラの直し・修正は印刷所を通さなければならなかった。
 ということは、編集者が基本版面の直し・修正ができることになり、印刷会社を通すことなく自分ですべての原稿整理を行うことができるようになった。これは書籍制作における原稿整理の大幅なコストの削減に結びついた。
 こうした出版社における原稿整理の電子化にメディアミックス&ソフトノミックス/は応えていった。ここで起きてきた問題点を問題意識として自らの業務の改善に結びつけた。
 この時代はワードプロセッサーとコンピュータが登場してきた初期10年間であったと思う。著者もワープロやコンピュータでフロッピィや電子メールで編集者に原稿を渡すことができるようになった。この時代は「手書き原稿」を「フロッピィ」などに原稿をパッケージィングができるようになった。手書き文字の電子化であった。
 メディアミックス&ソフトノミックス/も設立20年が過ぎ、この間コンピュータが書籍制作のなくてはならないものとして書籍制作の道具となったのである。この道具に必要な技術というか技能が開発された時期でもあった。作家の難読手書き文字や文章を読む「技術」を鍛えた。
 しかし、2010年、コンピュータの画面上でデジタル校正をする契機が生まれたのである。
 モノラルからデジタルに転換であるが、デジタルの技能の測定基準はモノラルを基準とするものである。例えばモノラルである紙面上の色校においてもそのノウハウという知識と技術は、デジタルにおいても基準の根底になる。そして、これをデジタルの基準としてその数値を確立したのである。
 このように書籍制作の技術と技能はモノラルの測定値を土台としている。
 そして今、この20年間は著者の世代交代が進み、当時40歳であった著者は容易にコンピュータを書く道具として適用していった世代であり、いまやこの層はほとんどの世代がコンピュータを使える世代になった。
 これは何を意味するか? それは出版社への著者の入稿のほとんどが電子テキストによって書かれた原稿が多くなった。
 当時は手書き原稿の著者も多くいたが、例えば文芸もののほとんどは電子テキストによる入稿である。
 こうした背景の中で、書籍制作は電子テキストといわゆる創作出版のつくり方と二つのつくり方へ収斂してきた。本局の課題としては2010年大きくスタッフの育成に影響されてきたと思う。
 手書き原稿から出発したワープロタイピスト、デジタルテキストタイピスト、そして2001年コンポジショニストの職名変更など歴史を経て、人材の育成は今日、書籍制作において「書籍をどのようにつくるか」の点で、いろいろなデータ(トランスクリプション)からプログラム(編集企画)としてプログラムしていく書籍制作が、いまや主流になってきた。
 だが、コンポジショニストの真の実力は手書き原稿を読む力にある。そこには古文書を読む力も必要だろう。最近の編集者は難読原稿を読める人と読めない人が出てきた。
 2010年(平成22年)これからは発刊された雑誌の連載記事や、出版企画に合わせたデータとしてのトランスクリプションをOCRによって、デジタルテキスト再生原稿を制作するのが今後の方向になると思う。
 とすれば、コンポジショニストの人材養成の土台となるのは、『OCRスキャニングワークの進め方』の技能をどのように獲得していくか、それがコンポジショニスト養成の土台とならなければならない。OCRによる原稿制作(データとしてのトランスクリプション)にはOCRの特質ともいえるし、OCRの不完全性をデジタル校正をもって補完しなければならなくなる。従来からの校正ゲラを校正してきた技能が横滑りすることもできるようになるのが2010年の課題といえる。
 しかし、ぼくたちは2001年12月に発行した『OCRスキャニングワークの進め方』を土台としてきた。この10年間の経験と実績の成果を共通の課題としなければならない。
 明日の本局からのテーマは、この『OCRスキャニングワークの進め方』を学習にあたって、と題した人材育成の課題と舵を切る。

2010年コンポジショニストの「働く唄」

 これまでコンポジショニストとして校正者として一歩踏み出すか、否か、そこに流れているリズム、メロディのこころの流れを佐藤は尊重してきました。みなさんも悩み、苦しみ、自分の進むべき道をみなさんなりに悩んだと思います。佐藤は激励のことばを静かに用意しようと思います。
 思えば、デジタルテキストタイピストとして、この社に参集したみなさんの心意気に感謝すると同時に、このメディアミックス&ソフトノミックス/の感じている壁を乗り越えていかねばならないと思います。みなさんが仕事の怖さと恐ろしさをしっかりと感じ取っていると思っています。だから本物なのです。仕事へ向き合う姿勢が本物なのです。佐藤はみなさんを抱きしめたい気持ちです。それでいいのです。
 ぼくたちは常にここから出発してきました。そして、大きな成果を勝ち取ってきました。
 本来なら、これまでのようにワープロタイピスト、デジタルテキストタイピストとして、そのお仕事の瞬間における悩みや苦悩があったと思います。それはみなさんにとって宝の山です。こうしたことを経験なく仕事の発展を確実に勝ち取ることは誰もできませんでした。

 しかし、佐藤は、本局は、2010年の時期を迎えて、みなさんが勇気あることばを発しなければなりません。それはぼくたちが一丸となった仕事のリズムとメロディを共有しているからです。これが共通なぼくたちの音楽であれば、その音楽の未来予測というか、音楽のメロディは自然に流れてその各々の音楽の未来の音楽(成果)のメロディ・リズムを予測することもできます。
 
 ぼくたちはことばの入力からお仕事を始めました。ことばを基礎とする出版社のお仕事とは何か? を知りました。それは出版社の原稿整理に対する心構えを持ちました。しかし、集まり散じたスタッフがいましたが、これに気づいて自己の仕事とは何か、を考えることができなかった人もいます。大変残念なことです。
 自分の進むべき道をみつけることもなく、去っていった人もいました。
 2010年時代は大きく変わろうとしています。デジタル校正とデジタル書籍の編集が視野に入ってきました。
 それは文字入力からOCRによる結果と、その校正による目的の完遂です。
 デジタル校正は新しい時代のコンポジショニストとしてデジタル時代が編集部を変えようとしています。この超えるべき明日の道へ一歩、踏み出します。
『OCRスキャンニングワークの進め方』がぼくたちの事業の起点(出発点)となりました。

 まずみなさんは弁証法による現実的・歴史的本質として
どのような書籍発行が企画として登場するか、編集者はどんな書籍をつくりたいか、ここから現実的・歴史的本質としての現実(歴史)が始まっていきます。現実的・歴史的現実は自分の暮らし(仕事)の中に前提として受け入れなければなりません。
 そして、佐藤は『OCRスキャニングワークの進め方』を理論的本質として、新人のみなさんは学習しなければなりません。これは専門知識や教育、学ぶことによって何人も自己の専門知識としていくものです。そして、この理論的本質は現実の社会=出版社が、鏡でもあります。この専門知識である鏡に照らし合わせて、それは解決のためのヒントでもあり、自分で探っていくことでもあり、こうした業務の経験は自己の専門知識の集積となります。経験から得た知識でもあり、理論として武装していくものです。
 しかし、どのように校正していくか、という実践的本質とは現実的と理論的本質を出版社が求める結果としてのあるべき姿(編集に必要な知識)――それは校正された実践的本質の結果である原稿整理をしなければなりません。
 ただこれだけの作業を、仕事をコンポジショニストの仕事といえるし、在宅ワークとして編集部から分離・独立した専門業務としてぼくたちの独立した仕事として獲得してきた歴史でした。編集前のデータ原稿(原稿整理)が目的です。ここに含有されるものはOCRのデジタル校正にとって実力そのものだといえるのではないかと本局は断言します。
 これでいいのです。
 校正ミスがあったとしても、「いのちを取られる」ことはありません。みなさんを守って本局はいきます。これが自己にとって自然体のメロディであり、リズムであるならそれは自己にとって自然の「働く唄」といえるでしょう。ここには会社理念も必要です。しかし、それは自然体であればそれでいいのです。

 今後、コンポジショニストをどのように育てていくか、について、考えたいと思います。
 自分で手元にある書籍をOCRでスキャンニングし、選択は自由ですが、実際OCRでスキャンしてそのスキャンされた原稿を校正し、照合し、この校正は理論的本質としてあるべき姿とし、そして実践としてやってみることにより、つまりどんなスポーツ選手も訓練と練習こそがその成果が自分の実力として認識確認できた時、あなたは日本エディタスクールの「通信校正講座」を受講して、今まで気づかなかったことを気づいていくヒントになって自分の力を成長させていくことで、このコースを終了します。
 実践は百戦錬磨です。こうして基礎的な知識と技能を学んでいく道ができればいいのです。ここにはメロディが流れています。それは自然なリズム、メロディでありたいと思います。
 コンポジショニストから校正者への専門職は、この土台の力量を獲得して自然体で校正者へなっていく力(原動力)そのものです。突き合わせ校正の力はダントツとなります。

 今までは自分で、出版社から受託した手書き原稿を入力し、この校正ゲラの直し・修正をし、そしてなぜ直し・修正が行われているかを編集者や校正者の胸をかりて学習し、そうして実践である校正ゲラを前にして精神を集中し、自信をもって校正ノートをつくり、問題点が校正ノートに書けたらあなたは校正者のお仕事のスタート台に立つことができました。
 他社校正者や校正者のみなさんから、どうしたら胸を借りられるか? これも最重要課題となります。この課題をもっています。克服していかねばなりません。

 しかし、OCRによる原稿の作成においても神経のいるお仕事です。しかし、いつものように成し遂げればそれでいいのです。誰でも学ぶことによって校正者にこうしてなっていくのです。
 しかし、練習と訓練を軽視すると、それはあなたの力がそれだけ遅れることになったり、途中で挫折する原因になってしまいます。
 やはり練習と訓練とは真剣そのものの勝負だと考えることが自分を強くするのです。ダラダラやっていたらあなたは散漫な精神の持ち主です。そして、それを繰り返して明日の自分を獲得していくのです。
 良い表現ではありませんが、知識労働者になっていく道であり、負けることは一般企業の労働者への道でしかありません。
(『デジタル時代の新しい校正』――セミナー受講者リポート――(2010年1月30日発行 コンポジショニスト マニュアルの内)


現実的・歴史的本質

『OCRスキャニングワークの進め方』その2
OCRソフトウエアの手作業による補完(校正)――その利用技術思想としての知識理論のデザイン構築へ向けて
OCRとは何か、その技術進歩、日本語への適用――いかにコンポージィングの知識と技術を開発するか、活字媒体のデジタルテキスト再生原稿の制作、コンポジョニストの養成テキスト作成へ

OCRの歴史 [編集]
(インターネット フリー百科事典『ウィキペディア(wikpedia)』から
1950年、AFSA(アメリカ国家安全保障局の前身)の暗号解読者デビッド・シェパードは、日本のパープル暗号を解読したことで知られるフランク・ロウレットの依頼により、Dr.ルイス・トーデラと共に局の手続きの自動化の勧告案作成に取り組んだ。その中には印刷された文書をコンピュータが処理できる形式に変換する問題も含まれていた。シェパードはそのようなことをする機械 "Gismo" を作成することを決め、友人のハーヴェイ・クックと共に自宅で夜や週末を利用して試作に取り組んだ。彼が特許(米国特許番号 2,663,758)を取得後、このことが1951年4月27日付けの Washington Daily News と1953年12月26日付けの New York Times に掲載された。シェパードはその後 Intelligent Machines Research Corporation (IMR) を設立し、世界初のいくつかの商用OCRシステムを出荷した。Gismo も IMR のシステムも単純な文字マッチングではない画像解析をしていて、いくつかの書体を認識することができた。Gismo は画像中の文字の位置を正確に合わせる必要があったが、IMRシステムではスキャン領域のどこの文字であっても認識でき、実用に耐えるものであった。最初の商用システムは1955年にリーダーズ・ダイジェスト社に納入された。このシステムは後にスミソニアン博物館に無償で提供され展示されている。2台目のシステムはスタンダード・オイルがカリフォルニア州でクレジットカードの文字を読み取るために使い、他の石油会社もこれに追随した。IMRが1950年代後半に販売した他のシステムとしては電話会社の請求書読み取り装置やアメリカ空軍のテレタイプ用ページスキャナーなどがある。IBMなどは後にシェパードからOCRのライセンス供与を受けている。
アメリカの郵便局も1965年から発明家ジェイコブ・レインボーの開発した技術を元にしてOCRマシンを使っている。カナダの郵便局は1971年からOCRを使用している。OCRは受取人の名前と住所を読み取ってソート(分類)するために使われる。そして郵便番号に基づいたバーコードを封筒に印刷する。その後手紙はバーコードにしたがって細かくソートをする。バーコードが宛名とかぶる可能性があるため(基本的に宛名や住所はどこに書いても良い)、バーコードは紫外線ライトで見える特殊なインクを使用している。このインクは通常の光ではオレンジ色に見える。
なお、日本では漢字の読み取りが難しいため、1968年7月1日に郵便番号が導入され、手書きの数字である郵便番号をOCRシステムで読み取ってソートしていた。1998年に郵便番号の7桁化がなされてからはOCRで読み取った際にアメリカのようにバーコード(ただしこちらは可視光では無色なインクを使用)を印刷するようになった。


OCR技術の状況 [編集]
ラテン文字の活字文書の正確な認識はほとんど解決済みの問題であり、識字率(文字を正しく認識する確率)は99%を越えているが、間違いの許されない状況では人間が結果を確認する必要がある。手書き文字認識や文字数の多い言語の文字認識ではまだ研究の余地がある。
手書き文字認識システムは近年、商用で成功している分野である。この技術はPalm OSなどが動作する携帯情報端末で入力手段として採用された。アップル・ニュートンがこの技術の先駆者である。これらの機器では筆順や速度や線の方向が入力時に分かるので比較的認識が容易である。また、ユーザー側も徐々に認識されやすい文字を書くようにトレーニングされるという面もある。
一方、紙に書かれた手書き文字を認識するソフトウェアには上記の利点が無いため、識字率はいまだ十分とは言えない。きれいに書かれた手書き文字でも識字率は80%から90%であり、1ページにつき数十個の認識不能文字が出現することになる。これは非常に限られた分野でしか実用化できないレベルである。
筆記体文書の認識は研究が盛んであるが、識字率はさらに低い。筆記体の文字認識の識字率を高めるには、文脈や文法の情報を使わなければならない。例えば、辞書の単語を認識するのは、手書き原稿の個々の文字を認識するよりも簡単である。小切手に書かれた数字の列は小さな辞書を使えばいいので識字率を上げることができる。スキャンしている文書の言語の文法に関する知識があれば、単語が名詞なのか動詞なのかを判別することが可能となり識字率を上げることができる。手書き文字の形だけでは正確な認識(一般に98%以上)は不可能といってよい。
コンピュータと人間にとって特に難しい問題は、例えば古い教会の洗礼と結婚の記録である(名前が列挙してある)。これらは経年変化で劣化しているうえ、現代では使われなくなった非常に珍しいスペルが使われていたりする。コンピュータの画像処理技術を使って人間がアルキメデス・パリンプセストや死海文書のような非常に解読が困難な文書を読むことが試みられている。このような人間とコンピュータの共同作業は興味深い研究領域と言えよう。
一般に、より複雑な認識問題にはニューラルネットワークを使うことが多く、非線形な変形でも線形な変形でもよく機能する[1]。

楽譜OCR [編集]
1970年代、印刷された楽譜を読み取る研究がMITなどの研究所で行われた。その後楽譜の記号を認識する研究が続けられ、商用のソフトウェアは 1991年にリリースされた。 なお日本においては1995年楽譜OCRを搭載した楽譜作成ソフトウェアのスコアメーカーが河合楽器製作所にて製造販売されている。


MICR [編集]
人間にも読めてコンピュータも高速に処理できる文字情報として磁気インク文字認識(Magnetic Ink Character Recognition)がある。この場合、誤認識は20,000から30,000文字に1文字である。


OCRソフトウェア [編集]
・ABBYY
・ Adobe Acrobat
・ DigitEyeOCR
・ e.Typist
・ EasyAccess
・GOCR
・ Kooka
・ Microsoft Office Document Imaging
・ NovoDynamics
・ Ocrad
・ OCRopus
・ OmniPage
・ Readiris
・ ReadSoft
・ SimpleOCR
・ SmartOCR - 無料ソフト、Windows用
・ SmartScore
・ Softi FreeOCR (欧文OCR)
・ Tesseract
・ WebOCR
・ 読んde!!ココ
・ 読取革命
・ クセロReader ZERO - 無料ソフト、Windows用
・ 一発!OCR Pro

パターン認識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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パターン認識(ぱたーんにんしき、Pattern recognition)は自然情報処理のひとつ。 画像・音声などの雑多な情報を含むデータの中から、意味を持つ対象を選別して取り出す処理である。
音声データから人間の声を認識して取り出し命令として解釈する音声認識、画像データの中から文字を認識してテキストデータに変換する(OCR)、大量の文書情報の中から、特定のキーワードを認識して文書の検索を実施する全文検索システム、などの技術がこのパターン認識に含まれる。
人間の脳にとっては非常に当たり前な過程でありながら、コンピュータで実現するには精度・速度どちらの面についても困難を伴う。
近年、「認識とは、結局どのクラスに分類されるかという識別問題に帰着することができる」という立場の研究が、人工知能や統計の研究と融合して大きな成果をあげている。識別器としては、ニューラルネットワーク、SVM(サポートベクターマシン)、k近傍識別器、ベイズ分類など、機械学習により大量のデータから識別パラメータを構成する非ルールベースの手法が主流である。


パターン認識の対象例 [編集]
・ 音声認識
・ 文字認識(OCR)
・ 全文検索
・ 画像認識
・人の顔(個人、表情など)
・ 図形(線画、立体図など各種)
・ 指紋、虹彩などを使った個人認証
・ 動作、ジェスチャー
・ 手話認識
参考文献 [編集]
・石井 健一郎, 前田 英作, 上田 修功, 村瀬 洋 「わかりやすいパターン認識」 オーム社 (1998) ISBN 978-4274131493 (入門用の教科書)
・ Christopher M. Bishop "Pattern Recognition And Machine Learning" Springer-Verlag (2006) ISBN 978-0387310732 (中上級の教科書) サポートページ
o 日本語版「パターン認識と機械学習 - ベイズ理論による統計的予測」シュプリンガージャパン (2007-2008) 上巻:ISBN 978-4431100133 下巻:ISBN 978-4431100317 サポートページ


理論的本質
(OCRスキャンニング作業の目指すべきあるべき姿)

 理論構築を進めていくうえで、形式を立てることである。目的は美しい日本語を求める。現段階のOCR機能・働き・要素の日本語適用の限界とは、形式は本質である。
 
実際のOCRスキャニング作業の進め方はみなさんのこれまでの経験で校正に向けて進めていくほかない。
実際、既刊本でリニューアルして他社出版社から再発行される場合もOCRスキャニングワークでデジタルテキスト化し、再生原稿をつくっている。コンポジショニストのみなさんも校正しているが、なかにはデジタル校正や紙に印刷して校正している方もいるだろう。どのような選択をするかは、自分のやりやすい作業の進め方で選択していいだろう。
実際、既刊本で新たに校正ミスを見つけたりすることもある。
コンポジショニストやトランスクライバー、校正者も「コンポージィングノート」や「ディクテノート」「校正ノート」をつくっているが、これは各業務プロセスの「見える化」に貢献してきた。トランスクライビィングにおいても編集者にデジタルの取材資料や参考資料をお願いしてFAXやメールでご提供いただいている。トランスクライビィングの場合は、トランスクライバーの専門性にマッチングするキャスティングを心掛けているが、編集者自身によくわかっていない方もいる。かつてこの業界は「テープ起こし」は誰でもできると思っているのかどうか、やはり大卒ではあるけれども文学部出身や経済学部出身、大学の理工学部出身、研究所の研究成果のトランスクリプションではその専門性が求められる。もちろん実用ものの書籍もある。こうしたトランスクリプションとしてのデータをつくっている。文学部出身者に経済問題を担当していただくことは専門性からはずれる。
こうした理由で、またことばである用語や概念など認識できるうえで、社会人になってからの実践で理工学部出身者がM&Aや最新の投資情報や技術戦略的なデータに慣れていくのも自己の知識の専門性の範囲を拡大していく力のあるトランスクライバーもいる。
ここで出版社の記者である編集者の「取材ノート」が初源であるが、出版社の本づくりの伝統であり、それは今日まで続いている。トランスクリプションの存在理由(レーゾンレートル)はこうした取材の原稿の精度を求めている。
しかし、「取材ノート」の成立過程は記者の取材の重要点検点でもあるし、取材の流れ(時間)、インタビューイーのこころの動きなどどんなことばを使って談話を構成しているか。記事を執筆していくうえで必要不可欠なデータ、その精度が求められる。
ぼくたちは編集者の取材である「取材ノート」(取材メモ)の記事の柱となる位置づけ、それに対してデータを作成していく過程での原稿をつくっていく、その時の気づきなど、それは談話の発話としてことばにしていくが、ぼくたちの気づきを形にしていくことが業務プロセスの「見える化」で、編集者のお役に立てることもパートナーシップのあり方といえる。

コンポジショニストにおいては既刊本であり、また雑誌記事の文中の校正ミスの発見にもやはり編集者には「コンポージィングノート」を書くことが大切である。
編集制作において一冊の書籍が5人のライターさんによって書かれたとしても、概念の表記には用語統一が必要である。コンピュータか、コンピューターか、などの類である。
編集者が発刊を急ぐため、見落とした部分を「コンポージィングノート」に気づきとして表記するこれまでの考え方に立つべきだ。
何をいいたいかとすれば、ぼくたちの「ノート」とは編集者の「取材ノート」を起源としていると十分認識すべきだ。そして、スタッフ一人ひとりの余すところのない力を出して編集者の編集作業の効率や気づきのお役に立つ役割をしっかりと分担することである。
伝統的な出版社における校正のあり方はきわめてモノラルである。そういう点でコンピュータの業務プロセスにおける介在は、業務としての校正のあり方の中で「プロセスの見える化」を進めてきた。これは業務において新しいイノベーション(革新)なのである。失礼な言い方かもしれないが、作家が書籍になるまでの過程において作家の「データ」が完全であるという作家もいるであろう。しかしぼくたちはただ編集者の編集業務に役割分担している立場を忘れてはならないだろう。電子書籍制作における、きわめて遠慮した立場であるがぼくたちの立場は編集の立場の一翼を担っているのだと、やはり認めてほしいという気持ちもある。
ここでは「コンポージィングノート」の存在理由としてエンジニアリングの視点から組み合わせによる触媒としての「ソフトミックス・知の創出での付加機能」「インテリジェント機能(働き)」(独立したモノの働き・要素)をしっかりと認識することだといいたい。
「どんな人間か、どんな仕事をするか、どんな成果を上げるか」成果の信頼があなたに仕事がくっついてくる。

現段階のOCRによる作業の範囲、OCR認識の誤謬傾向を、たとえば部首別分類にそのクセを類分けするとかして、もうひとつはコンテキストで気づきを「認識」していく。
まず頭を整理するために形式を立てることである。この形式とは『OCRスキャニングワークの進め方』その2の形式である。頭を整理することである。

やはりこのバケ方は日本語特有の同音異義語やあとから出てくるが、パターン認識の方法が技術の方法となっているので、そこを注意しなければならない。
できたら、みんなの知識と技術にするため部首別にバケ方の整理作業を進めていくことが形式(種類)を立てることになる。このマニュアルが校正を進めていくうえで、気づきの宝庫でもある。みなさんの「コンポージィングノート」とは別に、新しいノートをつくりバケ文字を部首別他、整理していただけるだろうか。
それが光学的文字読み取り装置(OCR)の現段階の技術的、働き・機能ということになる。佐藤は理論的本質として本質・形式・機能(要素)・目的へと理論的に整理したい。

たとえば部首名称を形式として立てる。形式とは象形文字の種類と思ってほしい。
種類別にそのOCRによるバケ方のクセの傾向を整理することである。これで理論的本質は大きな柱となる。
「門(もんがまえ、かどがまえ)」などにヒントをえて、それを注意して校正していくほかないと思う。この「もんがまえ」の中に入る日とか、口とか、耳とかがバケる傾向を持つ。こうして佐藤のことばでいえば、校正に向けての「あるべき姿」というか、正字を校正していく。こうした部首別の名称を活用して、バケ方の傾向を類別し、ヒントは漢和辞典の部首名称による。だから部首名称を学習して、OCRのパターン認識の限界を修正(校正)していく。しかないのではないか、と思う。
『OCRスキャニングワークの進め方』にヒントがあるので日本語のパターン認識にだまされないように気づきを持たなければならない。
 ひら仮名の「か」とカタカナの「カ」と漢字の「力」、数字・数式、アルファベットを線とイメージ像(類型)でその相違や区別を認識していく。
 実際、音声認識装置の技術が進歩できないのは、こうした日本語特有の意味・用法が異なってくる点でもある。
 本局には角川書店の漢和中辞典と、スタッフから教えてもらった大修館書店の明鏡国語辞典があるが、漢和中辞典は読めない漢字の読み方と字画、それから明鏡国語辞典は漢字や表記文字の使い方という意味と用法のために活用している。
 これは本局の例だが、みなさんの辞典の使い方もあるでしょう。
 みなさんのコンポージィングノートの集積がどんな仕事をしたか、それはぼくたちの理論的成果だ。

日刊工業新聞 平成22年2月23日
NTT
書籍とデジタルコンテンツ
携帯端末使い連携
原本の詳細位置 的確に

 NTTはスマートフォンなど携帯端末のカメラ機能を使って、市販の書籍とデジタルコンテンツを連携させるシステム「Kapan(カッパン)」を開発した。書籍にQRコードなど2次元コードを追加する必要がないのが特徴。過去の出版物との連携も容易に図れる。今後、NTTドコモやNTTコミュニケーションズ(NTTコム)などグループ会社と協議を始め早期の事業化を目指す。
 カッパンはNTTサイバーソリューション研究所(神奈川県横須賀市)が開発した。スマートフォンなどのカメラで撮影した書籍や雑誌など紙媒体の一部分をサーバに送る。サーバ側では、まず光学式文字読み取り装置(OCR)を使って自動でテキスト化し、そのテキストをもとに原本の書籍名、ページ数、行数など詳細な位置を特定。特定された位置情報に対応する動画や音楽、口コミなどのコンテンツを送り返してスマートフォンに表示する仕組みだ。
 利用者は、書籍や雑誌の気になる部分をスマートフォンのカメラで撮影してサーバに送信するだけで、そのページに関連付けた情報を閲覧できる。そのページに対する自分の感想やコメントのほか、関連する画像や動画などを投稿することも可能だ。具体的なサービスとして、読者が自由にコンテンツを追加できる旅行ガイドブックや、学生の理解を促進するコンテンツが閲覧できる教科書などを想定している。
 同システムのポイントは、テキスト化した画像情報をもとに原本の詳細な位置を特定する技術。携帯端末からサーバに送信される画像は書籍の一部分しかなく低画質のため、OCRでの誤認識の多さや手がかりの少なさなどが原本検索の課題になっていた。そこで、取得したテキストを水平方向と垂直方向から認識する「2次元文字ブロックキー抽出」方式を採用。これにより少ない文字数で原本の詳細な位置を的確に探し出せるようにした。

 ブロック・ゲージ(block gauge):最も精度の高い寸法測定器、特殊鋼を精密に仕上げた立方体で、寸法の違うものを何種類か組み合わせて用い、数10センチの寸法の物を1〜10ミクロンの精度で測定することができる。

 ゲージには組版の寸法を定めるの意。隣り合った一枚の下に重ならずに露出する部分の長さ(つぶれずに測定できる)という意味もある。
 たとえば原稿用紙のマスに文字(漢字)の標準類型として一致度を判定しているだけである。

 まずエンジニアリング(組み合わせ)のおもしろさと可能性が新しい要素技術の働きを生み出すことができる。こうした方法論をぼくたちの仕事に適用したい。
 コンピュータ、OCR、携帯カメラなどの組み合わせで新しい要素技術(機能・働き)を生み出すことができることだ。(参考まで)
 
 パターン認識とはこの文字認識のコア技術といえるではないか。
 上記したものは部首の類のバケ方の傾向であるが、意味と用法の「一致」がもてない。だから誤謬なのである。
 また、テレビ局でNHKと日本テレビ、それから民放のTBSとフジ、テレビ朝日、テレビ東京もそうだと思うが、よくみなさんがテレビを観ていると最近では出演者によって「フリップ」ということばが使われる場合も多い。三省堂の『官公庁のカタカナ語辞典』によると、フリップflip cardは、講演やテレビ番組で、スタジオのテレビの前で説明用に1枚ずつめくって用いるカード。
 パターンはNHKと日本テレビで呼称されている。パターンpatternとは、型、様式、類型、型紙、模様、図案。パターン認識pattern recognition文字・図形・音声などのパターン情報を、コンピュータで認識し理解する技術、入力された対象パターンと標準パターンとの一致度を比較し、もっとも一致度の高い標準パターンの範疇に属すると判定する方法。
 蛇足だが、NHKと日本テレビはパターンをカメラでテレビ画面いっぱいにカメラで撮り込む番組制作の流れをつくっている。朝のNHKの健康番組などで医学情報と人体の臓器諸器官の説明をしているが、コンピュータで制御し、プレゼンテーションのようにパワーポイントのような使われ方をしている。佐藤はNHKのソフトウエアのコンピュータの導入に関心をもっている。
 脱線するが、本局での応募者との面接で47インチの大画面で採用業種の業務案内を説明したい。こうしたソフトウェアを「ソフトミックス(ソフトエンジニアリング、ソリューションへ向けて要素技術の核として組み合わせ)」して作成し、「仕事とは何か、どんな仕事か、業務概要、個人情報保護、社内諸規定など」案内したいと思っている。面接に通常2時間ぐらいかかっているが、時間を意識せざるをえない。
佐藤はビデオビジネスにも携わった経験から、アメリカからやって来たテレビ放送文化、テレビ用語や仕事のしかたなど、テレビ技術文化の産業界や出版業界への波及に関心をもつ。
用語のもつ概念の科学性――概念世界の創造性、それは知の諸科学へイノベーションとして知識経済社会の建設へ貢献する。生命科学理論の出版への適用、知識の創造へも関心をもつ。知の創出というエンジニアリングの可能性を方法論として考えるとワクワクする。
経済の成熟化が知の創出とものづくりへ知識の性格が変化してきた。

 パターンとは象形文字の類型を標準パターンとしており、だから門がまえの中が標準パターンでもとらえきれない。だから校正しなければならない。
 フリップとパターンとは、同じように使われているかというと、上記のように異なる。
 文字と図形も含めてパターンなのである。
 ここではパターン認識のクセをよく知ることだ。
 今朝はここまでにして、みんなが個別の共通の目的に向かってコンポージィングノートに現わし、成果を上げていこう。この成果を『OCRスキャニングワークの進め方』その2として成果物を獲得していきたい。これは理論的本質になる。
 少し長くなりますが、インターネットから概略を学んでください。
(平成22年3月1日「営業情報」)3月2日、3日加筆)


実践的本質

 ホームページ訪問者は「一般的に分かっている」と考えているのか、本局も詳細についてはこれまで発表していない。最近、コンポジショニストとして採用し、採用と同時に、産休に入り翌年1年間の産休を経て仕事に入った。校正についての概要はwebを通してある程度分かっていたと思う。コンポジショニストの本番に入って、書籍一冊12万字の新規入力であったが、ほとんど入力ミスはなかった。本局も驚いた。
 普通、コンポジショニストとして採用された人はボロボロ入力ミスが出てくる。
 しかし、こうした原稿は納品できないのである。お仕事も止まってしまう。
 一般的に「仕事とは何か」を知らない。自分の考える仕事をしてくる。もう一度言うが、納品できない。仕事についてまったく分かっていないのである。書籍であるので当然、テーマがストーリーで描かれている。
 しかし、初出のコンポジショニストは3、4カ月後も納品できる品質の仕事ができ、校正ゲラの直し・修正へと進んだ。
 完全に近い仕事ができるようになって、本局から校正通信講座の受講を薦めた。半年を過ぎて4級の校正試験に合格した。
 最短コースで校正者になった。時々コンポージィングの仕事もお願いしている。
 普通、4、5年はかかる。変換ミスやミスのないお仕事ができるようになるまで待っている。
 以前、国立大学の先生の政治論文の校正事故を起こしたことがあった。行財政改革のテーマだった。いま気づくと、たぶん大学院生がワープロしたのだろうと思っている。
 この原稿には地方分権に対する権限の地方行財政への「移譲」が「委譲」となっていたのを校正者は見過ごしてしまった。新聞の政治面を読んでいれば決まり文句のひとつでもある。だが、国語の頭で理解したのか、現下の政治政策としての知識があったのか、原稿をよく見ないでワープロした変換ミスと思い込みであると思う。
 なんでもそうだが、前記した「一流のプロによる、一流の原稿、そして一流の書籍」ができあがる。素人のワードプロセッシングでいいだろうと思った先生の判断、また最高裁の入力ミスも「なんでも分かっている」人たちの思い込みがこうした事故に結びつく。この事故は印刷してできあがった新本をもう一度印刷し直し発行することになった。大変なご迷惑をおかけした。またみなさんが毎日見ている新聞のチラシ、スーパーのチラシやデパートのチラシにしても、スーパーやデパートの力の入った販売促進広告の商品価格の値段が一桁間違った数字が入っていれば、どんなことになるのか、広告(公示)した値段で販売しなければならない。
 たとえばスタッフのミスの類であっても、損害賠償に発展するとも限らない。仕事とは、こういうことである。思い込んで、分かっている姿勢で仕事はできない。
 まずこうした仕事へ向き合う姿勢を教育している。仕事の怖さと恐ろしさを教育している。
 基本が身に付くと、平常心でいい。いま「身に付く」と表記した。仕付けと躾の違いなのである。教育の基本はここにある。現代の精神病理といっているのは、なんでも分かっていることだ。だから何にも分かっていない、と言っているのである。
 
 在宅ワークの本番でのお仕事のある時以外、練習もしないし訓練もしない。本番が練習なのかもしれない。これではいつまで経っても仕事はついていかない。本番で練習されたら困るのである。コンポジショニストとしての自覚はお仕事を完全とはいわないが、12万字のなかで入力ミスが10箇所ぐらいあっても仕方ないと思う。普通なかなかそこまでの業務達成度には、4、5年はかかる。多くのコンポジショニストは多かれ少なかれこれぐらいの時間はかかっている。
 この間、仕事はほとんど出せない。倒産の原因になるからだ。
採用されてからA4、5枚ほどの入力からスタートし、テキスト入力で気づいたところのコンポージィングノートづくりのつくり方を先輩の事例を参考に学んだり、最初は3、4人で分担していく場合もあった。コンポージィングノートでの用語統一がとれない。書籍の基本版面、○字詰めの○行というふうに基本版面をつくりながら作業を進める。しかし、同じように問題点が出てしまう。

最近になってOCRによるデジタルテキスト化の再生原稿づくりが中心になってきた。
デジタル時代に入ったのである。それで今回の本格的なマニュアルづくりに入った。
コンポジショニストとして応募され採用されたみなさんの仕事の流れは、OCRによるデジタルテキスト再生原稿の制作からスタートする。このお仕事はデジタル時代の新しい校正へとつながっている。

仕事に対する心構えを自覚(身に付く)して初めてお仕事が始まるし、お仕事ができるようになる。
こうした心構えをもてるようになると、ある校正者は、時に入力する時もあったが、ワードプロセッシングはストレス解消になる、と言った。たぶん長時間PCの画面に向かって何時間でもできるのだろう。ここまでくると本物になる。いろいろな仕事へ向き合う態度も身に付く。
12万字と聞いて気が遠くなり、逃げたくなる人もいるだろう。
こうしてメディアミックス&ソフトノミックス/の校正者第一号になった。立派だと思う。
いまでも1カ月先の校正予約が編集者から入っている。所得は安定していく。

ぼくたちの業務は労働密度が高く、今でもJR各社によって守られていると思うが、現業の労働密度の高さは小社において、けして望ましいとはいえないが、1日作業時間と作業量を5〜6時間と標準設定しており、お金を払えば「残業」をしてもいいということにはならない。編集者にもこうした点でご無理を強いている側面があると思いますが、労働衛生を守っているというか、働く者を保護している。
ビデオスタジオの編集作業が深夜にわたって編集スタッフの長時間労働が完パケのデットラインをにらみ、どこの編集スタジオでもこのような問題が起きていると思いますが、ぼくたちの仕事にも明日の納期のある仕事を抱えている。
そうしたなかで「特急料金」をお支払いします、と言って、ぼくたちの労働衛生を無視することはできない。ご迷惑をおかけしていますが、常にスタッフの拡大をもって、この労働衛生を守ってきた。1日労働時間を標準5〜6時間というのは、こうした背景である。
こうしてスタッフの実力は個人の業務達成能力の拡大への努力の中で、各々が勝ち取った比較優位の真の力でもある。

本来なら、変換ミスなしのワードプロセッシングで鍛えられ、ここからスタートし、校正試験に合格し、校正のお仕事ができるようになる。ミスをしないようコンポージィングノートで鍛えられ、校正ノートを書き、編集者から信頼されるようにもなる。
 編集者は「何の、どこに、気づき指摘しているか、どのように校正(仕事)したか」校正者の姿勢や、力や、努力が見えてくる。どのように校正したか「見える化」しているのが校正ノートだ。
 
しっかりとお仕事ができるようになると、OCRを使ってデータ原稿(生命科学理論としてのトランスクリプション;編集用語としての原稿整理)を納品した後、本局でも「えっ」と思う編集者からの電話が入る。初校で校正を終わりたい。「しっかりお願いします」と言われる。それはOCRによる校正ミスがほとんどなく、大丈夫かなと思っても初校で終わる時が数回あった。
それは担当コンポジショニストがしっかりできたと思う。本来なら乱暴なことだが、再校がなかったことが制作コスト削減につながる。偶然だと思う。しかし、担当コンポジショニストに編集者の声を伝え、翌朝「本局から」の営業情報で全員にお知らせした。
また、コンポジショニストのOCRを使ったデジタルテキスト再生原稿の原本とのつき合わせ校正はダントツの才能と達成能力がもてるように鍛えられる。
「仕事に対する考え」がしっかりと自覚できるようになると、大卒一般企業の事務職員として結婚前在籍したことのある企業にウェブオフィス(電子オフィス)がなかったとしても、毎日本局のウェブの「営業情報」で一般企業では「朝礼」に相当する知識労働者としての基本というべき現下の課題、自覚(責任)、社の方針と目標、各人の思いをひとつにしていく。毎朝、ウェブを見てからきょう一日のお仕事(実践)に入る。仕事に各人の魂が入っていく。
人材育成とは毎朝空気を入れ替え、いのちの水をやり、大きく育っていく喜びをもつ。大切なのは、仕事に魅力があり、多様な分野のお仕事の環境に囲まれていることだ。自分も「あの仕事がしたい」と目標がもてること。テレビでの話題、雑誌での話題、そして書籍、新聞の暮らしの欄、気になるテーマ、話題の人もそうだろう。
多くの人が、読者が「あの、この雑誌を買って読んでみたい」と思う魅力一般がぼくたちの仕事の現場だ。仕事の舞台裏である。政治、経済、社会、地域、家庭(暮らし)一般の常に「今」が仕事の舞台裏だ。時代の流れは仕事の現場の移り変わる情景でもある。
書籍一冊丸ごと実用専門書として、「暮らしの基礎知識」でもある。
近くの書店へ行って、形になった雑誌を手にとって、いろいろ感じることもあるだろう。
スタッフ全員、研究費(資料購入費)として2,000円の手当(月の売上げ50,000円以上)がある。
本局では自分の仕事の経歴書をつくるように、と言っている。分厚いファイル(A4版)の透明ファイルに発売された書籍や雑誌と自分のつくったトランスクリプションなど印刷しファイルして自分の経歴書の資料にするように、と言ってきた。
ぼくたちはコンピュータやフットコントローラー、OCRなどの生産手段をもって知識を使った仕事をしている。仕事が形になってはじめて他の人に見てもらうこともできる。
お父さんはどんな仕事の形をもっているのだろうか。子どもたちにお母さんの仕事を見せることができる。意外と娘もお母さんの仕事に関心を示してくる。

「OCRスキャニングとつき合わせ校正訓練費用(抜粋「本局発表」)

 OCR校正の教育訓練については、書籍一面600字で10頁をOCRでのスキャニングができるように練習し、それを原本とつき合わせ校正し、修正し、原稿を作成します。
 原本はできれば10頁ほどコピーして、つき合わせ校正の成果を本局に送っていただくことになります。訓練費用として、OCRスキャニングとして500円、つき合わせ校正・修正として1頁60円(1文字10銭)、6000字で600円、1頁換算で前後の頁数を算出します。その後、校正者に見てもらい、校正者の校正料は本番と同じ料金でお願いしようと思います。校正者に見てもらうために、原本のコピー代は1枚20円で本局へ請求してください。
 練習を積み重ねて、OCRでの入稿は自分でできるようになるまで、自信が持てるようになるまで訓練を重ねてください。
 そして、その成果として本番ができた時、本局の通常料金をお支払いすることになります。毎月練習してみてください。練習には制限を持ちません。
 コンポジショニストのOCRの練習を進め、各人がOCRによる原稿作成ができるまでこの制度は続きます。」

即戦力になるために、本番を意識し、力を出し切るために、ある程度自分で自信がついたら本番同様書籍一冊12万字をOCRで原稿をつくり、校正して、5日間でできるようになるため集中して訓練してください。本局では本番同様の料金を設定します。

今朝は、この小論のディクテーションの最後の日とする。
みなさんはもうお気づきになったと思う。しかし、すでに分かったとお思いだと気づかれているだろう。
古来と歴史を経て時代の移り変わりに庶民の生活は変化してきた。特に今日現代という時代の変化に人々の暮らしも変わってきたと思う。佐藤はそれでも変わらぬ人間としての人生の道や考えも不易流行として脈々と伝えられてきたと思う。人間社会史の変化と不易流行の中で何を見ていくか、それは人としての生き方といっていい。現代という時代に佐藤は生き様を求めたが、覚悟の必要な時代でもある。
前述したが、ワープロの大学院生の教授のお手伝い、スーパーのチラシの入力ミス、最高裁の分かっている知性の過ち、いまやこの分かっている症候群の落とし穴、そうした精神の欠陥というべきものがどこにあるのか? 現代人のもっている傾向に気づいたのはこのメディアミックス&ソフトノミックス/のスタート時だった。それは倒産の原因でもある。
一般企業の営業一般は顧客の全員を100%とする。そのうち毎年20%の顧客を失う。常に20%以上新規顧客を開拓しなければならない。景気がいいだの、不況だのといって景気を理由にしているのはみなさんご存知のとおりだ。メディアミックス&ソフトノミックス/は出版社に失礼だが、万年不況と戦っている、と仮に説明のために極言する。メディアミックス&ソフトノミックス/は一人の顧客も失ってはならないと決意してきた。佐藤と電話窓口の山形とのパートナーシップだった。こうした考えは事を構えた外の場所で飲みながらではあるが、こころして経営に方向を定める会議でもあった。創立22年を迎えるが、最初の10年間は一人の顧客も失ってはならないと考えてきた。これが会社成長の理由だった。気を許すと自分の都合が出る。お客様の都合で常に仕事とは成り立っていくものだ。
特に自分の都合がなぜ出てくるのか? 
仕事に対する自らの位置づけと考えた。
何人も自分たちのわが家で暮らしている。家族もいるだろう。核家族であれば、パートナーとの愛の暮らしの対等のパートナーシップ、世代間家族であればおじいちゃんやおばあちゃん、子どもの親であれば子どもたちといのちの呼吸をしている。ここでは家族のみんなが自分の役割をもって分担して、家族や社会のなかのそれぞれの生き様で生きている。
つまり、人間とは生きている間自分の仕事(事をかまえてすること)で家族のコミュニケーションは成り立っているとする。これが生きることの土台となる。いくつになっても自分は「仕事」を役割分担して暮らしている。何人においても人生という価値だといいたい。家族の誰からも尊重され期待されている。存在の重さもある。
ドラッカー先生はマネジメントとは務め(課題)、責任、実践だと言った。自然動物社会においては群れにはそれぞれの役割(掟)がある。だが、ぼくたちは小さな小さな小魚と社会生態系の中で自己規定した。それぞれが仕事をもって生きている。
みなさん賢く学歴もあり分かっている症候群の中にいると危惧した。仕事とは何かについて前述した。家族の役に立って各人自分の自由な生き様を役割分担して生きていく時、そこには家族においても社会においてもかけがいのない人間の社会的存在というか、そこには自ずと身に付いた生き方というものが生まれてくるものだ。
いま身に付いた生き方が失われている。それは社会生活へとつながっていく。だが、賢いことがつながっていかないというか、土台が失われている。仕事とは金儲けだと思い込んでいる。金儲けは得という善で、損することは悪である。何も損することを目指せというのではない。普通でいいんだ。ここで生きていく人格形成が失われていることも近代経済学で強調されて、給料の差となって評価する一面もある。これは人の道において絶対悪なのである。
ぼくたちは何事においても平等主義を貫いてきた。しかし、平等主義の真の意味を知らない人も多い。機会の平等というふうに理解されたい。
一つ一つの仕事を金儲けだと考える。だから顧客を毎年失っていく。ここには企業としての土台である成長戦略がない。成長の主な理由は人材と人材育成にある。顧客を失わない人材を求めているし、ここから真っ直ぐ伸びていく人材こそ企業の成長の理由だ。それを「佐藤教」といっては理解しようとする前提を失ってしまっている。
新政権に対し、経済の成長戦略がないと批判した。物事の判断の土台に気づいていない。

ぼくたちは日常の家庭を基盤とした明日を支度していく家族の暮らしの役割分担から出発した。
メディアミックス&ソフトノミックス/も家庭を基盤としている。背伸びすることなく、普通で、自然で、誰にでも共通で、ここから出発した。
メディアミックス&ソフトノミックス/を金儲けの手段として考えていては迷惑なのである。こうした上記の考えはスタッフ全員が自分らしく編集者から仕事がくっついてくるように指名されるようになってこそ、メディアミックス&ソフトノミックス/らしいと思う。
指名されるようになれば所得も安定してくる。指名されない仕事を繰り返していれば、仕事荒らしと言ってもいい。人材としての魅力を失う。金儲け対象に仕事を考えているからだ。もちろん倒産の遠因になる。自分の実力とはあなたの所得だと言いたい。
金儲けを100万回呼称してもそんなものは人間を破壊させるだけだ。それは家庭の破壊でもあるし、社会の破壊であり、人間の破壊へつながる。
意外と賢い企業社会において、気づいていない不思議のひとつである。
企業の経済成長とはここではマイクロビジネスという小動物の生き方でもあるが、真の賢い生き方は企業としての機能や働き、原動力の源泉をスマート(賢く)に「節約」していくのかもしれない。アリがゾウのマネをしたら生きていくことはできない。
ある経営誌にゾウのことばかりが書かれている。経営学者の関心もゾウにある。こんな経営からマイクロビジネスは学べない。アリとしては区別して生きていかねばならない。
だが、高性能なアリでありたい。そういう意味で時間も空間も延長もスマート(賢く)に節約しているといえるかもしれない。時間のセービィング(節約)は高効率ということだ。マイクロビジネスは元気だ。普通だ。マイクロビジネスらしく明日を支度していく。

今回はコンポジショニストの募集を考えており、「カチカチ山」のタヌキのように、背中に火がついた方ではなく、落ち着いて大成していく人材を求めます。必ず、真っ直ぐ伸びれば校正者になることができる。人材の育成には自信をもっています。
(ご主人の給与で生活している普通の家族であれば、優秀であれば、5年間で500万円ぐらいは貯蓄できるようになる。そして、ご主人の夢をサポートできるようになる)
                        (平成22年3月7日「営業情報」)
日本経済新聞 平成22年3月3日
高収入世帯は郵貯残高多く
平均より2割
全銀協、限度額上げ けん制

 全国銀行協会は郵便貯金の残高を利用者の世帯年収ごとに分類すると、最も収入の高いグループは全体の平均である299万円を2割程度上回っているとの分析をまとめた。全銀協は「少額貯蓄の手段という郵貯の目的と実態がかけ離れている」と主張し、政府・与党が検討している郵貯の預入限度額引き上げ案をけん制している。
 総務省の家計計画に基づいて全銀協がまとめた資料によると、調査対象家計を世帯年収で5分類した最上位グループは平均すると年収1220万円で郵貯残高が360万円強。他の4グループがいずれも残高200万円台後半なのに比べて預入額の多さが目立つという。
 政府・与党が検討している郵政事業見直しの議論では、日本郵政の運用益を増やすため郵便貯金の預入限度額を現行1千万円から引き上げたり撤廃したりすべきだという意見が出ている。ただ、こうした限度額緩和論に対しては「中小金融機関から郵貯への預金シフトが起きかねない」と金融界の抵抗が根強い。

 あまりこんなことに触れたくはないが、世間の動きにも多少の関心をもちたい。
 個人投資家の平均投資額は200万円程度と聞く。世間のマネをすることではなく、自分の信念をもって他人に投資して利益を求めることではなく、自分や自分たちにのみ焦点を合わせ、自分の計画が自分の信念によって自分のために達成されていかねばならない。「新しい公共」にも視野を広げ関心をもちたい。
 それはworkとjobの相違でもある。カネに関心のみをもつ者は知識労働者らしくない。
 本局は監視している。本局の求める本来仕事とは、こうしたカネに関心をもつ人格を排除している。専門職として自分をマネジメントし、明日を支度していく務め(課題)、責任、実践を自覚する。経済風雪の中で自分の「仕事」を自覚し、それぞれが持ち場を死守することだ。自分の立場を平常心で務めることだ。古くて新しい時代のマネジメントである。

日刊工業新聞(平成22年3月10日)
経営教室
小規模企業の人材育成(中)
経営士の提言
"教える"より"学ばせる"/動機づけへ指導員の役割重要

 前回は「制度として」について述べたが、今回は、第二の要点である「指導員養成」について述べる。指導員の条件は、?仕事が出来る人?よりも?人間好きの人?を優先する。その理由は、と人材育成では?教える?ことよりも?学ばせる?ことを重視するからである。対象者が与えられた仕事に打ち込めるための支援、すなわち現場で仕事の意味を理解し、仕事について考えるように支援するのが、指導員の役割である。
 この"理解"で重要なのは、対象者が話す事柄以上に、その話の奥にある「心の意味」を理解することである。心の意味とは、その人が心に抱える感情・欲求・思いのこと。さらに学習すること・働くことへの動機づけが重要である。また、常に育成対象者の近くで共に働くことによって、彼らが持つ仕事に関係した不安・恐れ・戸惑い等をつかみ、そのメンタルヘルスのケア(心の健康への対処)も、重要な役割の一つである。そのため、対象者の近くで働く先輩社員を、指導員として養成する必要がある。この指導員養成だけは、我々専門家が支援する必要がある。
 養成講座の要点は、(1)養成講座の狙いを明確にすること(2)短期間で効果的な知識・スキル・マインドを習得させること――の2点である。その狙いを列記すると、(1)指導員の「何をすれば、の不安」の解消と育成実行への動機づけ(2)育成の考え方と心構えの体得(3)担当する指導員自身のメリットの理解(4)OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)の進め方の習得(5)必要な知識・理論の理解(6)必要なスキルの習得(7)特に「対話」の重要性を強調。さらに、カリキュラムの内容を列記すると、(1)自己・他者の特性理解の方法(2)働くことの意義と仕事の本質の理解(3)動機づけの定義・代表的理論と動機づけ方法(スキル)とツール(4)対話のスキルとマインド(5)心の健康ケアのスキル(6)「育てる・成長」の意味(7)実行計画書の作成要領(8)「指導員」の役割と心構え(9)「リレーション構築」の考え方と実践スキル――等になる。
 カリキュラムは一見多岐にわたるが、この内容を、的確に短期間で養成講座として実施するのは、経営コンサルタントの腕にかかっている。
(日本経営士会・加藤元久)

 大きな意味でこの新聞記事を受け入れる。一般企業においてはこうした入り口に問題を抱えているだろう。本局ではどこに応募者面接の視点をおいてきたかというと、こうした問題が起きないことに採用には注意してきた。
 それは会社の経営理念と組織の在り方である。ドラッカー先生のマネジメントである務め、責任、実践を各人が自分のマネジメントとして日常生活が平常心でできることを社の自然な姿としてきた。つまり日常性の誰でもが共通できる音楽、リズム、メロディーがあると思う。それは日常のテレビ局のドラマ制作の演出のあり方といえるが、心理描写と考えてほしい。自然な心理の流れが自己の、演技者の人生におけるリズム、メロディーの演技であるとすれば、演技とは何なのか、そこには誰でもが企業内教育において共感できる自然な音楽の心理でなければならない。
 だが、佐藤は人間には二つのタイプがあるといった。
 これは一つのタイプかもしれないが、すべての感情には共通の意味があるということだ。
 それは普通の生き方から生まれる。その生き方から生まれる音楽といっておく。
 そこには思考のすべてが、気づきのすべてが哲学という法則の中で認識できる。
 この点において上記の新聞記事とはスタートが違う。しかし、大きく是認する。
 スタッフが育っていくには法則がある。

 IBMのITソフトウェアの設計思想には弁証法が適用されている。「どんな人間が、どんな仕事をして、どんな成果をあげるか」、製品の設計においても弁証法が適用されている。自らの仕事は弁証法の「万世一系」で知識労働に創造の意欲と生み出す価値、成果を求めなければならないだろう。


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