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業界経験者1、2年生を中心に スタッフを募集します


理論的
 談話(ディスコース discourse,oral discourse 口頭による発話、語る、談話、講演)と、written discourse(ディクテ、筆記、草稿する)との一致とは、サブジェクト・アイデンティファイング subject identifying,同一性、同等性を確保することで、どのように確保するのかというと、フォネティサイズ(phonet’icize)を守り、音声どおりに表わすことで、弁証法による証明では、次のように言える。
 日常の現実的側面(正)である「おかあさん」という発話は、理論的側面(反)で オ(
o) カ(ka) ア(a) サ(sa) ン(n)の最小単位;音素 phonemeの一音の命(いのち)から成り立ち、このそれぞれ異なった単位の一言をディスコース(discourse)とよぶ。実践的側面(合)であるキーボーディングと画面から「おかあさん」とディクテ(談話筆記・口授の同等性)され、音声言語は文字言語に止揚される。
 カセットテープやICレコーダーで録音された音声を、
phonetic discourse 録音声といい、そのカセットテープよりつくるトランスクリプションをtape transcriptionと言う。ICレコーダー(音声ファイル)からつくるトランスクリプションはvoice transcriptionとよぶ。
 2006年、時代は変わる。テープトランスクリプションは終焉を迎え、デジタル化の時代にふさわしくヴォイストランスクリプションの時代に変わろうとしている。


トランスクリプションのつくり方
 参考のため、小社トランスクライバー N.Fさんのトランスクリプションを事例として、応募される方の参考にしていただき、編集者へ著者の息づかいや思い入れを描き伝える書籍執筆に生かされたトランスクリプションをスタッフ募集にあたり公表します。
 メディアミックス&ソフトノミックス
/では、業界経験者1、2年生を中心に採用を拡大しようと考えました。
 できればヴォイストランスクリプションを制作できるトランスクライバーを歓迎しています。
 小社において、ICレコーダーで録音された音声ファイル対応PCフットスイッチが製作されており、このディクテマシンを操作できる人を求めています。

 4年制大卒、大学院修了者、履歴書、職務経歴書、作文(募集要項に従う)、出版にあたり使用されたトランスクリプションと、発売されたその書籍等、店頭出版物(照合できるもの)があれば尚可(ご返却いたします)。その他、電話での相談可。個人情報、機密保持厳守。



待遇その他 平等主義。
 クライアント PHP研究所 月刊誌『Voice』、プレジデント社 月2回発行『PRESIDENTプレジデント』、産経新聞東京本社 月刊誌『正論』、中央公論新社『中央公論』、読売新聞東京本社 広告局 月刊誌『ojo』等を、特に担当できるトランスクライバーを求めています。

 仕事のことばは仕事の本質を生み出す。仕事の本質から仕事の思想や理念が息づき、ことばの本質と形式は、その働きを生み出し、仕事の目的であるミッションを持つ。
 ことばには本質、形式、働き(機能)、目的があり、ニセモノのことばはご都合主義のモザイクになっている。とても理論とはいえない。
 採用された方は、「テープ起こし」のことば(諸用語)の使用や他社のモザイク文化、他社の職業的習慣を小社社内へ持ち込むことを禁止します。そして、小社のモノをつくることばの本質から生み出された小社社風に同化模倣されて、スタッフの一員としてお迎えできればと思います。


『青木雄二のゼニと病気』青木雄二著 (青春出版社刊 2003年11月15日発行)
 ライター K.Hさん(『それいけ!! ココロジー』のライター)による編集協力  トランスクライバーは、N.Fさん (から抜粋)



―――大部屋入院も経験されたことがあるんですか?
青木:あるよ。ガンで入院したときは市民病院やったから、個室がなかったんとちゃうかな。確か6人部屋やったと思う。


―――そのガンに関しては、大変な手術だったと聞いていますが……?
青木:3年くらい前のことや。10時間くらいの手術やったかな。口の中にガンができてしもうてね。?偏平上皮(へんぺいじょうひ)ガン?とゆうやつです。転移せんように、咽喉(いんこう)のわきあたりをガバッと取って、ほかから筋肉を移植したんですわ。手術後も、そのままやと息もできんから咽喉に直接穴あけられて、そっから息したと思いますわ。しばらく味覚もわからんようになったし、口のなかのガンはけっこう厄介(やっかい)なんや。


―――ガンを経験すると、人生観が変わるとよく聞きますが……?
青木:そんな大げさなもんやないけど、いろいろ考えさせられたことは確かやな。ガンというのは、体内に花が咲くことをいうんやて。誰でも体のなかにガンのつぼみみたいなモノを持っとって、ストレスが溜(た)まったときにポンと咲くらしい。ストレスは、ガンという花を咲かせるための栄養みたいなもんということやね。わしの場合も、普通ならつぼみのままでおとなしくしとったはずやのに、不本意にも咲かせてしまった。ストレスを持っとるということや。いまは、そのストレスの正体が何であるかを分析して突き止めなならんと思うとるわけや。


―――医師の腕についてはどう思われますか? たとえば、先生の手術を担当した執刀(しっとう)医の場合は、どんな感想をもたれました?
青木:相手は一応専門家やからね。文句は言わんけど、すご腕の医者っちゅう感じではなかったな。わしは、医者に職人を求めとるんや。職人の代表格といえば大工やけど、大工でも腕のええやつと悪いやつとでは、家の出来栄えにすごい差が出る。腕のええ大工やったら、それこそ寸分の狂いもなく、一生涯補修の必要がないくらいに長持ちする頑丈(がんじょう)な家を建ててくれる。しかし魔の悪い大工に当たったときは、どこかに隙間(すきま)ができていたり、歪(ゆが)んだりしているから、何回もやり替えなあかん。職人には、才能プラス経験が必要なんや。人間の体は、家と違ってやり直しが効かんから、よけい必要性が高いと思うで。


―――いまの医者は信用できないということですか?
青木:信用できんというわけやないが、臆病(おくびょう)になっとるとは感じるな。たとえば、わしらの子供の頃は、風邪(かぜ)をひいて病院に行くと、注射を打ってくれた。これがよう効いたもんや。そやけど、いまは風邪くらいではなかなか注射を打ってくれない。副作用がこわくてよう打てんのやろ。しかし、もともと薬と毒は紙一重なんやから、多少のリスクはあってもしかたない。昔はそれで通っていた。しかしいまは当(あ)たり障(さわ)りのない薬、はっきり言えばあまり効かんような薬しか出してくれん。患者の症状を的確に把握して、一番ふさわしい方法で治してくれるのがホンマの医者のはずや。しかしそうやなしに、あとでゴチャゴチャ言われんように、最低限の手を打っておけばええんやと、医者が思い始めてきよる。患者の病状回復よりは、自分の保身のほうを大事にする医者が多いのは確かや。


―――最近は医療ミスがよく問題にされてマスコミで叩かれていますから、慎重にならざるを得ないんでしょうね?
青木:それも一つの原因やと思う。ミスが裁判で確定したら、医者にとってだけやなく、病院にとっても大打撃の死活問題やからな。真実を知りたい、病院から説明がほしいだけやのに、病院が応じてくれんから、しかたなく裁判をおこすというケースがほとんどやと思うが、なかには患者側にもえげつないのがおるんや。少し医療に詳しい人間が周囲におって、「裁判やれ」「○○円はとれるで」と妙な知恵をつけられたり、家族が亡くなったことを逆恨みして医者のせいにしてしまうとか……。いずれにしても、起きてはならん医療ミスが、最近多すぎるとは思うで。昔なら考えられんようなイザコザをよく耳にするもんな。


―――医療ミスが多いのは、何が原因だと思われますか?
青木:そりゃもちろん、全体的に医者の質が下がってきとるということやろうな。医者が取り扱っとるもんは人の命や。そやから医者として仕事を開始するまでには、きびしすぎるくらいの試練があって当然やし、医者への道を選ぶ時点で、ものすごく狭き門であってほしい。技術的にも倫理的にも体力的にも、選りすぐりの優れた人材であってほしい。ところが実際は、医者の子供が医者になるというケースがほとんどや。全部が全部悪いとは言わんが、何が何でも子供を医者にするという親の姿勢は困ったことやと思うで。


―――優れた医者の子供が、必ず医者に向いているとは限りませんからね。
青木:そうや。人には適材適所っちゅうもんがあるからな。確かに医者はオイシイ商売やから、子供にも幸せな人生をつかんでほしくて医者という職業に就かそうとする。親心というか、むしろ親バカやな。アメリカのブッシュ親子みたいなもんや。ところが、医者の子供がみんな頭がええわけやないし器用なわけでもない。本来は、貧乏人だろうが金持ちだろうが、能力のある者を医者にせんとダメでしょう? 国を豊かにしようと思えばね。しかしいまの日本ではそれができない。明治時代には、能力のある子供にゼニを援助してくれる粋(いき)な金持ちもおったらしいやないか。野口英世(のぐちひでよ)は貧乏やったけど、まわりの人に助けられたから、立派な業績も残せたんや。時代にも恵まれていたと思うで。


―――いまの日本は優秀な医者が育つ環境ではないと……?
青木:医学部に入学するのは難しいというても、お金があれば何とかなる大学もあるからな。医学部を出ても国家試験に通らんことには医者にはなれんが、この国家試験には、ほとんど通るようになっとるしな。しかも1回医師免許とっとけば一生もんや。犯罪者になってしまえば別やけど、多少腕が悪くても、怠(なま)けていようとも、免許を剥奪(はくだつ)されることはない。医者として続けていくんなら、スキルをチェックすることは欠かせんやろ? それなのにそういうチェックシステムなんかないしな。免許を持っておれば、毎日遊び呆(ほう)けておっても、メスは握れるっちゅうことですわ。恐ろしいことやと思うやろ?


―――確かにそうですね。自動車の免許と同じですね。一度取得しておけば、たとえ何年運転していなくても取り上げられることはないし……。
青木:だから交通事故も一向に減らんのや。獣医にもひどいのがおるで。獣医の免許だけをとって、それから何十年か保健所勤務を続けて、定年後に開業する奴がおるんです。そういう奴は腕が悪い。昔の試験には受かっておるかもしれんが、その間は何の勉強もしておらんし、実際に現場も見ておらん。いまの医学にもついていけない奴がそのまま獣医になれるんですよ。だから開業しても適切な診断や治療なんかできるはずがない。何もわからんまま、動物を殺してしまうという獣医はなんぼでもおる。ところが獣医の場合は、殺しても罪にはならんそうだ。動物はモノ扱いやからね。


―――ところで、医療改革についてはどう思われますか?
青木:医療費が上がり、保険料と患者の負担も増えるっちゅう改革ね。あれには医者も戸惑っているやろな。医療費が上がれば自分らの収入も増えると考える医者もおるやろうし、あんまり上げすぎると、患者が来んようになったら収入が減ると考える医者もおると思うで。ケースバイケースやな。ま、日本医師会は絶大な権力を持っとるから、政治家といえどもとことん楯(たて)突くことはできんという気はするけどね。もし医師会に楯突いてみい、医師会が協力し合って「ほんなら政治家の家族は診たらんぞ」と言われるで。そうなったらどないする? 結局彼等の間には、暗黙の了解があるんとちがうやろか。持ちつ持たれつ、うまくやっとるはずや。バカを見るのは搾(しぼ)り取られ続ける国民や。保険料も上がり、負担分も上がり続けとるのにな。


―――ここまで赤字になるということを、国は予想できなかったのでしょうか?
青木:ずいぶん前からわかっとったはずやで。わかっとってもいままで何の対策も打たんかっただけの話や。役人というのは怠(なま)けもんやから、いつも後手後手に回りよる。「とりあえず今年の予算は確保したんやからよしとしよう。来年のことはまた来年考えたらええねんから……」とか言うてな。もし来年に不安があったとしてもいまは何もせんし、「あんまり早くから騒いだら国民が混乱する」とかなんとかゆうて言い訳しよるからな。だいたい国民はなめられとるんや。ま、しかたないわな、トロい国民ですから……。


―――確かに……。あまり危機感もないし、国に何をされても怒りを抑えてしまいますしね。
青木:それ以前に問題意識を持たんような体質になっとるのや。戦争がはじまっても、相変わらずテレビでは、「イチローがどうの、松井がどうの」「ベッカムがどうの」と流しとるわけでしょう? 下手な芸人が娯楽番組で大騒ぎしとるしな。本来なら、戦争に勝る報道はないはずですわ。しかしあほらしい娯楽映像が垂(た)れ流しされとるのに、国民は文句も言わんし、疑問も持たん。なめられても当然や。「そんな国民に、医療のこというてもどうせわからんやろ」ゆうてな。だから、医療費が上がっても「またかいな」と、どこか他人事みたいな顔しよるし、高い薬をたくさん貰わされても、「こんなに飲むんかいな」と素直に受け取って帰ってしまう。


―――自分たちの問題なのに、自分たちの問題として考えることを怠けてしまっている?
青木:薬かて原価は安いもんや。すこし考えたらわかることやのに、ゼニをようけとられたうえにありがたがっとる。薬剤メーカーと厚生労働省の癒着(ゆちゃく)は、周知の事実や。値段は何ぼでも自由に設定することができるわな。原価の安いもんをいかに高く売るかは、量産せんとか、売り惜しみするとか、いくらでもやり方はある。新薬が出たかて、すぐに認められるものと、えらい時間がかかるものとがあるやろ? そこには利潤(りじゅん)が絡(から)んどるとみたほうがええやろね。たとえば、規模の小さいメーカーが、いきなりすごい効き目の新薬を出してきたとする。それが出回れば、いままで大手メーカーが出しとった薬が売れなくなる。大手にしてみれば大問題や。そこで「いままで献金(けんきん)しとるやないか、何とかしてくれ」と泣きつき、国は「そんなら、小さいほうをつぶしとこか」ということになる。



おわりに―――――夫・青木雄二とガン
 2003年9月5日、夫青木雄二は肺ガンのため亡くなりました。享年58歳でした。  3年前に青木は偏平上皮ガンに冒されました。そのときの手術は無事成功したのですが、今年の4月ごろから肺の変調を訴え始め、病院の検査を受けたところ「延命治療しかできない状態」と宣告されました。以後体重は減少し続け、それでも気力でがんばってくれましたが、とうとうそのときが来てしまいました。  いま、青木の冥福を祈っている自分と、いまだに青木の死を受け入れることができない自分がいます。まだ心の整理はついていませんが、青木の残した思いを胸に、この文章を書かせていただいています。

 今回の『ゼニと病気』というテーマで執筆することになったのは、自分が病気に冒され、実際の医療現場でさまざまな体験をしたことがきっかけになったのでしょう。その後、新聞や雑誌から、病気や医者、病院、保険……等の知識を仕入れながら、ペンを走らせておりました。『ゼニと病気』をテーマにしたこの本が、青木にとって最後の著書になってしまったことは皮肉ですが、これも青木の遺志なのかもしれません。  2003年の春先、発刊してくれる出版社の編集者が、取材を兼ねて自宅に訪ねてきてくれたことがあります。そのときの会話を録音してくださっていて、今回、そのインタビューのやりとりも文章化してくれました。青木の発言を忠実に再現してくださっているので、青木の生の声を聞いていただけると思います。

 この本を手にとって下さった方に、青木の声と思いが届くことを祈りながら、感謝の気持ちを伝えたいと思います。ありがとうございます。

2003年10月
青木若代



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